前回の続き
 
東京ドーム最寄駅から電車に乗り「北の玄関口・上野駅」に到着。
ここから「上野恩賜公園」に向かいました。この地には、昔ながらの野球場があります。
その名も「正岡子規記念球場
 
 
 
 
正岡子規といえば、東大出身の歌人。
(正確には帝国大中退)
フォアボール=四球 など「野球用語」の日本語訳を考案した人として伝わっております。
 
 
球場ではこの日、少年野球の練習が行われておりました。
指導者の厳しい声が響いていました。
「声が出てないぞ~!!」・・・私もよく言われたっけw
 
 
 
 
 

アクセスはこちら
 
 
鵜久森淳志の出身地でもある愛媛県松山市には「正岡子規記念博物館」があるそうな。
こちらもいずれ行ってみたくなりました(^^)
 
そして同じ公園内に、有名な「上野の西郷さん」こと「西郷隆盛像」があります。
活躍できずに散った藤田東湖とは違い、こちらは偉業を成し遂げた人です。
 
もしかしたら、これほど意識して西郷さんの像を観たの、今回が初めてかもしれない・・・・。
 
 
 

その後は駅の反対側へ移動。そこには1984年春の選抜優勝校である岩倉高校があります。
清原桑田が在籍していた最強PLを倒して優勝しました。
 
 
 
 
 
立派なビルになっている学校が学校に見えず、今も違和感が拭えませんw
田舎の学校は3〜4階建の横長校舎が多いものでw
 
 
この学校は、幕末から明治にかけて活躍した公家
、岩倉具視が設立した高校です。
 
 



その近くにあった「上野のバイク街」に久々行ってみましたが、店はほとんど残っていませんでした。
 
就職した年の冬、初めてもらったボーナスでバイクグッズを買いまくった頃が思い出されましたw
 
残念ながら、その当時の面影はありません。
相当バイク人口が減っているようです。
 
もしかすると、売り方が強引で客に対して上から目線、の悪評高い店が幅を利かせていたのが影響したのかな?
 
 
 
 
 
 
他にもこの近郊に、有名な「アメ横」があります。
しかし無駄な買い物と密を避けるため、あえて行くのを止めておきましたw
 
 こうして、改めて周ってみると、明治から変わらない西郷さんの像や、正岡子規を記念した球場は昔と変わりません。
 
しかし生活の中心である市街地は、幾時代か過ぎたのだなと感じました。
 
上野駅から、また電車でぶらり移動しました。