「文久三年の夏」といえば「水曜どうでしょう」の藤村ディレクター……ではなく、「八・一八の政変」が起こった年。
会津や薩摩の連合軍は、尊攘派の長州公家衆を失脚させがじゃ〜!
…と、藤村さんが言ったかどうかは分かりませんがw
(実際は西暦にすると9月30日になるそうです)
動乱の江戸末期、時代が大きく動いた事件でした。
そして月日が過ぎて8月18日は、夏の甲子園の第一回大会が行われた日であり「高校野球の日」と定められています。
その高校野球の日に生まれたプロ野球選手もいます。
その中から、以下の2人をピックアップしてみました。
1967年生まれ 清原和博
1976年生まれ 李承燁
清原和博は高校野球の日に生まれ「甲子園は清原のためにあるのか?」とまで言われたスター選手。
そして李承燁は日韓で活躍した、韓国を代表するスラッガー。
彼も高校時代に韓国で全国優勝した「超高校級」でした。
投手だった李承燁でしたが高校時代に肘を痛め、プロ入り後に監督だった「白仁天」の勧めで打者転向に至った選手です。
「甲子園のスター」と「韓国の英雄」が同じ誕生日。
どちらもパリーグから読売に移籍して4番を務めた選手。
さらに、どちらもその後はオリックスに所属したという共通点があります。
(李承燁はその後、韓国で現役続行)
面白い縁です。
他にも1969年の8月18日、甲子園決勝戦の日。
愛媛県代表の松山商業と青森県代表の三沢高校の試合は、延長18回引き分けに終わりました。
これは、決勝戦が引き分け再試合になった初の大会でした。
…そしてその日生まれた子供が、後に甲子園を沸かせます。
ファイターズにも所属した「芝草宇宙(ひろし)」
高校生となった彼は、夏の甲子園でノーヒットノーランを達成し、甲子園のスター選手となるのでした。
最近では新潟帝京の監督に就任し、再び高校野球を盛り上げてくれています。
そんな、申し子のような人って存在するんですね!
(^◇^)