プロ野球に入れるような選手は、ほとんどが高校時代から注目を浴びています。

特に注目されるのが、球の速い投手。

高校時代に150キロ越えのストレートを駆使して活躍、その後プロ入りした選手がおります。

 

今回はこの選手

鴨志田貴司(かもしだ たかし)

 



茨城県久慈郡大子町出身

投手

右投右打

 

水戸短大付属高→読売→オリックス

2001年ドラフト3巡目

 

高校時代に最速152キロを計測した投手です。

甲子園経験はありませんが、当時甲子園を沸かせた寺原隼人と並び注目された選手でした。

 

 

彼の出身高である水戸短大付属高、私が学生の頃はサッカーに力を入れていた高校。

私が参加した学校説明会でも、はっきり「野球は勝つのが難しいのでサッカーに力を入れている」と言っておりました。

現に私の後輩がサッカー推薦で入学しました。

(その後どうなったかは控えます・・・・・)

 

ですが、 気がつくと野球も強くなっていた水戸短大付属高でした。

最近の有名人で言えば、広島東洋カープの會澤翼や、芸人の黒沢かずこの母校でもあります。

※ちなみに現在は校名を変え「水戸啓明(みと けいめい)高校」となっております。

 


彼の実績は以下のとおり。


高校2年の時に夏の予選で準決勝進出。水戸商に8-10で敗れました。

当時の水戸商には、後に中日入りする長峰昌司が在籍しておりました。

 

2001年、高校3年の時に夏の予選で4回戦まで進みます。

そこで、阿井英二郎監督(後にファイターズヘッドコーチ)率いる「つくば秀英高」(創部3年目)に3-4で敗退。

甲子園で鴨志田の投球を観ることは出来ませんでした。

 

とはいえ、鴨志田は充分な活躍で注目を浴びました。

 

 

その年、ドラフト3巡目で読売に指名され入団。

同期には、台湾プロも経験した真田裕貴や、後にファイターズ入りする林昌範がいました。

 

このドラフト当時、読売ファンの知人が「寺原を外した」と嘆いていたので「ドラ2の鴨志田を応援してあげて」という会話をした記憶がありますw

 

プロ入り後は1年目の2002年、ペナントレース終盤に1軍に上がると早速初セーブを挙げました。

しかし2年目の飛躍とはいかず、11試合に登板して10回を投げ、奪三振12個ながら自責点13、防御率11.70 に終わりました。

 

その後は鳴かず飛ばずの成績で、2006年オフに谷佳知との交換トレードでオリックスへ。

 

2007年は一軍登板なし。

 

2008年、開幕直後のファイターズ戦に先発で起用されますが、2回と持たずKOされてしまいます。

そしてこの年は、この1試合だけの登板となりました。

 

唯一活躍出来た年と言って良さそうなのが2010年。

この年、私は過労とストレスで春先に体調を崩してしまい、シーズン前半ほとんど野球を観ていない年でした・・・・。

そんな中で頑張っていたらしいです・・・・・。

正直、たまに「あ、鴨志田投げたのか」とチェックする程度でして、どのくらいのインパクトを残したのか全くわかりません・・・。


成績を調べてみると26試合に登板して4ホールド、投球回数は27回1/3で奪三振31、防御率2.30でした。

しかし16四死球を記録しているところを見ると、課題のコントロールは良くならなかったようです。

 

その後は目立った活躍が出来ませんでしたが、2013年の交流戦で1/3イニングを投げて勝ち投手に!!

プロ入り12年目の初勝利となったのでした。

しかしその年のオフに戦力外通告を受け引退。

 

通算成績は

1勝4敗1セーブ5ホールド。

投球回数91回で89奪三振を記録しております。

ちなみに初の奪三振は、当時阪神の井川慶(水戸商)からでしたw

 

引退後は、しばらく神戸市に住んでいたようです。

ダーツバーらしきお店を経営している情報もありましたが、真偽は分かりませんでした。

 

2019年に、BCリーグ・茨城アストロプラネッツのコーチに就任。


2020年からは読売ジャイアンツのOBスカウトとなり、茨城県近郊の選手発掘に努めています。