コロナウィルスの影響は長引いておりますが、緊急事態宣言の解除が始まりました。

第二波の恐れはありますが、少しづつ戻っていることでしょう。


なかなか野球ネタもないので、久しぶりに茨城県出身選手をチェックしました。


 今のセリーグはカープブームが続いております。

カープは昔から名選手をたくさん輩出しているチームです。

カープには偉大なクローザーが多い印象があります。

 

「優勝請負人」こと江夏豊

「セーブ王と防御率同時受賞」小林誠二

「炎のストッパー」と言われた津田恒美

「100勝100セーブ」を達成した大野豊

「監督」となった佐々岡

「球団最多セーブ」の記録保持者、永川勝浩

「外国人No1クローザー」のサファテ


 

そしてカープには「姓が3文字の選手が活躍する」と言うジンクスがあります。

 

北別府、安仁屋、長谷川、外木場、小早川、佐々岡、菊地原、最近では大瀬良に下水流・・・・。

 苫米地(とまべち)とかいう選手もいたな…。


確かに、割合は高いようです。

 

 

短期間ではありますが、カープのクローザーとして活躍した3文字姓の茨城県出身投手がおりました。

 

今回はこの選手

 

小山田保裕(おやまだ やすひろ)





1976年7月27日生まれ

茨城県下館市(現:筑西市)出身

投手

右投右打

土浦日大→城西大→広島→横浜

 

 

彼の出身地、下館市は私の出身高校がある所です。

高校時代は県内でも有名な選手だったようです。

土浦日大高で一年からエース、3年夏は決勝で敗退。

 

その後城西大学に進学、3年春にリーグ優勝、しかし秋に最下位。2部との入れ替え戦には勝利して降格は免れました。

 

1998年ドラフト5位で広島東洋カープに入団。

同期の1位が東出、6位に新井さんがいました。

新井さんと同学年だったのか…。


 

1年目から1軍で活躍。なんとシーズン途中にオーバースロー→サイドスローへフォーム改造を行うという荒治療を行いました。

イメージとしては「斉藤雅樹」に似たフォームへ。

それが功を奏したのか、その年10月6日にリリーフ登板で初勝利。

その後もリリーフとして活躍し、2002年にはクローザーとして1年を通して活躍。この年、球団史上初の30セーブを達成しました。


しかし、度重なるケガが成績に影響を及ぼします。

 

翌2003年は怪我の影響で23試合の登板に終わりました。

この年から、広島は抑えに永川を起用し始めます。


2004年のシーズン途中から先発に転向して4勝。

ストレートで押す投球を止め、変化球を駆使するようになったんだとか??


2005年も先発ローテに入りますが、怪我で途中離脱。

6勝に終わりました。


こうして徐々に登板回数も減ってきて、2007年オフに横浜にトレードとなったのでした。


迎えた2008年、横浜で復活!!

39試合に登板、中継ぎをしながら3試合ほど先発した記録が残っています。


しかし2009年は7試合の登板に終わり、2010年は1軍登板は無し。

その年に戦力外となり現役引退となりました。


引退後は横浜の球団職員となり、現在も活躍しているそうです。

第二の人生も野球に携わっているのですから、成功者といえるでしょうね。


ここ数年、横浜も人気が上がってきました、彼の頑張りが功を奏しているのだと信じます!!