久々に茨城ネタです(^◇^)
1989年、日本初のドーム球場である東京ドームがオープンして以来、日本各地には様々なドーム球場が建設されました。
ドーム球場が建設されてからそこに移籍するチームがある中、西武球場(現メットライフドーム)だけは元の球場を2年を費やしてドーム化しました。
その西武球場において、ドームへ改装中~ドーム完成直後に活躍した茨城県出身の選手がおりました。
今回はこの選手。
大友進(おおとも すすむ)
1974年6月18日生まれ。
茨城県多賀郡十王町(現:日立市)出身
外野手
右投左打
(注:両打という方もいますが、データが無いので左打ちとします)
日立工高→東京ガス→西武→中日
高校時代は双子の弟、猛と共にプレー。1年生からレギュラーとなり、地元でも「大友兄弟」として有名でした。
双子の兄弟でどちらも投手兼クリーンアップとして活躍した選手です。
高校3年時に夏の県予選で決勝まで進むも、金子誠が在籍していた常総学院に3-2で敗戦、甲子園出場ならず。
高校卒業後は、東京ガスに兄弟で入社。
1995年ドラフト2位で外野手として西武に入団すると、1年目から3本塁打、15盗塁を記録する活躍を見せます。
2年目の1997年からセンターに定着し、主に1番もしくは2番を打ち、規定打席に達します。
この年31盗塁を記録しましたが、同僚の松井稼頭央が62盗塁を記録して盗塁王となったのでした。
ちなみにこの年の西武は、主に3番を打った高木大成が24盗塁、1~3番で117盗塁という機動力野球の見本のような上位打線でした。
その後も活躍を続けましたが、2000年頃からケガに悩まされていたイメージが強く、お隣栃木県出身、小関の台頭もありその辺りを境に低迷して行きました。
2004年オフに中日へトレード、しかし目立った活躍は出来ずに1年で戦力外通告を受け、引退となりました。
通算成績は
打率.263
本塁打18
3塁打20
盗塁80
’98、’99 ゴールデングラブ賞を受賞
本塁打より3塁打が多いという、足と守備が武器だった選手。
現在はボーイズリーグ「世田谷サムライボーイズ」の監督をしております。
茨城県出身からの世田谷区民、私と同じですw
(*^_^*)
この世田谷サムライボーイズ、公式サイトを見てみると全国屈指のチームのようです。
大友が監督の他、元ベイスターズの戸叶尚がコーチとして在籍しておりました。
このチームから、将来のプロ選手が現れるのでしょうか?
ちなみに大友の出身中学の十王中学は、昔は剣道の強豪校でもありました。
今はどうなんだろ?
日立市の近辺は、野球でもサッカーでも何でも強く、スポーツ施設が豊富な土地というイメージがあります。
私自身も小中では剣道の合宿、ソフトボールの遠征、高校の時は山岳競技で試合や強化合宿を行った土地です。
そんな競争が激しい土地でスター選手だったのですから、どれだけ大友進という人物が凄いのか、肌で感じ取れます。
短いプロ生命ではありましたが強い西武を支えた大友進。
指導者となった今、いずれ彼の教え子が大舞台で活躍するのを楽しみに待つこととします!!