彦根市のかんぽの宿で湖城荘の場所を聞き込み調査。
一度はもう現存しないと言われ、終わったかに見えたこの旅でしたが…。
眼下に広がる琵琶湖を見ながら食事をしていると、さっきの従業員さんが寄ってきました。
『あの~、すいません。先程は●●荘と勘違いしてしまいました。湖城荘はもう営業してませんが、建物はまだ残っております。』
え!?あるの?
『あの道をまっすぐ行くと右側にあると思いますよ』
湖城荘の建物は当時のまま現存しておりました。
食事も早々に切り上げて、車に走りました。
戸野広浩司さんが最期を迎えなくてはならなかった場所ー。
国道沿いの右側ばかりを気にしながら走っていきました。
廃墟は結構多く、一軒一軒気になります。
しばらく、走ると少し奥ばった場所に殺気を感じました。なんというか、ここだ!みたいな引き付けられるような殺気です。
うわっという感じで右を見ると、ツタの絡まる建物が目に入りました。
何故か間違いないという確証を感じました。
しかし、あまりに一瞬だったので通り越してしまいました。
あれだ。絶対あれだ。
心で何度も繰り返しました。
しばらく走ってようやくUターンできる場所を発見。引き返すように走ります。
しかし、何か怖いものに近づくように、段々恐怖が湧いてきました。
もうすぐ、あの建物という頃、同じ道沿いに古びた神社(お寺?)がありました。。
あの建物が見えた場所に行くには国道から右の細い路地に入ります。
ありました。一際重いオーラを放っています。
車を停車して、降りて近づいていきました。
カメラでズームして入口の看板を見ると湖城荘という名前が掲げてあります。
あった。これが戸野広浩司さんが人生を終えた建物なのか…。
ご実家からお借りしたアルバムの写真が次から次に頭の中を過ぎります。
生まれたばかりの赤ちゃんの写真。
子供の頃の写真。
中学時代。
高校時代の修学旅行、部活、教室での写真。
劇団青俳の時代の写真。
婚約者の吉良さんとの写真。
虎錠之介の写真…。
そんな人生を送ってきた一人の人間の人生が、目の前の廃墟で終わったのです。
あの玄関から入って行ったんだ…。
生々しい感覚として脳裏に浮かびます。
何故に胸が込み上げる物を感じ泣きそうになりました。
建物に向かい両手を合わせ、『戸野広さんが最期を迎えた場所を見ましたよ。辛かったでしょうね』と、語りかけました。
心持ちなのでしょうが、重い空気が漂っていました。
約30分バリケードの外からじっと物言わぬ証人を眺め続けました。
湖城荘。
奇妙な偶然ですが、『こじょうそう』は、虎錠荘と書き替える事もできます。
虎錠之介という役が最後に演じた役。
人生を終えた場所が湖城荘。
コジョウという言葉に運命を感じざる得ませんでした。
戸野広浩司さんが、この地で感じた無念は戸野廣浩司記念劇場が晴らしますからね。