ママ・女医・ときどき女子。~発達凸凹子育て奮闘記~ 私がママ友ドクターになる前の顔。 -4ページ目

ママ・女医・ときどき女子。~発達凸凹子育て奮闘記~ 私がママ友ドクターになる前の顔。

ママであり発達障害専門医であり30代女子であり発信したいことが沢山あり…と2014年にブログ開始。2015年、我が子を自ら自閉スペクトラム症と診断。2016年には第2子出産!2020年現在3児出産しママ友ドクターを始めますが…そのずっと前日々を綴った育児奮闘記。

自閉症児ときょうだい児

~30年間を振り返り、私の母親が語ること①~


今日は月曜日。

しかも幼稚園のお弁当の日お弁当

昨日は昼寝をしているため、夜寝るのが遅くなった息子zzz

当然、今朝は眠くて

「やだムカムカぼくは寝るんだ!幼稚園行かない!
とグズる始末もやもや

最終兵器のスマホ動画スマホを見せ、どうにかこうにか目覚めさせ、
ミートソース付きの御飯を無理やり口に運び、
抱っこで走って園バスに乗せてきましたアセアセ


そんな慌ただしい朝を経験しているのは、私だけではありませんよね…

小児科医としてフルで仕事をやっていた時も、
育休中で専業主婦の今も、

朝の忙しさ、全然変わりません!!

(むしろ専業主婦のほうが家事を諦められないから、忙しいかも)

さて、そんな中、ふと肩の力が抜けた瞬間の写真を載せます赤ちゃん



母親は我が子の寝顔に癒されます照れ







娘を生んで良かったと思える瞬間一つです。



今日は、せっかくなので自閉症ときょうだい児について私の考えを書きます。


専門家としてというより、
きょうだい児の経験者としての感想です。

長くなるので、結論を先に書きます。



自閉っ子、アスペッ子、その他の発達凸凹児を育てるママ達に言いたいI


「一人でも大変だから弟妹なんて…と、きょうだいを作るのを諦めないで」


繰り返しますが、医者としての意見というよりも、経験者としての感想です。



自閉スペクトラム症などの発達症(発達障害)を兄弟姉妹にもつ子を
「きょうだい児」!!呼ぶことがあります。

親同様、様々な苦労が強いられるため、ちゃんとケアをする必要があるとされます。
そうしないと、その子の心の健全な発育に影響する…みたいなことが書いてある本も読んだことがありますが…
どうかなぁって言うのが私の意見です。



というのも、


私は3才離れた姉(あだ名 ひろんこ)がいるのですが、自閉症です。
30年前に知的障害があるカナー型自閉症と診断されたようです。


今と違い、世間の理解も進んでおらず(自閉症=知的障害=何をやっても治らない…みたいな誤解)
また、インターネットもないから情報収集も今より大変だったはず…。


何より当時、自閉症は、しつけが悪い・愛情が足りない…などと親のせいにされていた悲しい時代。

(もちろん、今は親のせいじゃないとされていますよ!)


幼い私をおんぶしながら、医療機関をはしごして、姉を療育に通わせていた母。


診断されてどう思ったか聞いてみました。

「絶望というより、なんとなく、そのうち治るものかなと捉えていたわ…それよりも、あなたもいたしパパは仕事でほとんど家に帰ってこなかったから、忙しくて悲しんでるどころじゃなかった」

だそうです。

ちなみに、私の息子は母に言わせると
「ひろんこみたいに多動はあるけど、言葉が出てるだけまだ救いがあるじゃない、ひろんこは喋らなかったから…」

(けど、私の息子のほうが姉よりも強情で、すぐ反抗するので扱うのがひろんこよりも疲れるらしいですI)


誤解を与えると困るので断っておきますが自閉症や発達障害は現時点では遺伝病とは違うとされます。でも家系に出やすいことも報告されています。

私は、何となくアレルギーと同じ体質みたいなものととらえて説明しています。感覚過敏、耳がいい、こだわり強い、コミュニケーション苦手、思考回路が独特、空気読めない、記憶力いい…等々、何かしらの特徴を持つ人が身内にいれば、そりゃ似ますよね、みたいな。それが濃いか薄いかで、社会適応力に影響するのは事実です。

アレルギーと同じで、年々増えていく。
自閉症的というかアスペ気質の子供は、いまや1クラスに一人いるくらい身近なんです。


さて、話を戻します。


まだ赤ちゃんの私と3才の自閉症児を育てるのは本当に大変だったでしょう、と当時の苦労を母に聞いてみると、


「もう、忘れちゃったけど、、
ひろんこがどんなに騒いでも部屋が散らかってても、あなたは本当によく笑ってたから、救われてたわガーン
でも、あなたをどうやって育てたか、あなたがどう育っていったのかはサッパリ覚えてないけどね」


とのこと。

あなたが少し大きくなると、今度はひろんこがあなたを真似して、同じ事をやりたがった。お陰で色んなことを覚えて出来るようになったわ。言葉も少しは出るようなはなったしね」


へえ、知らなかった。
ひろんこは、トイレも着替えも食事(意外と上品に食べる)も子供の頃に一人で出来るようになったのはそのためか。

ちなみに、言葉の遅れがちな自閉っ子たちは、言葉のシャワーを浴びさせる必要があります。兄、姉がいる場合、
「お母さん、ラッキーですよ、どんどんお兄(姉)ちゃんたちを家庭教師にして、言葉を覚えさせましょう。沢山言葉を浴びせてくださいIと外来で指導しています。

発達症のチビッ子達を話せるようにするには、まず言葉のインプット(めざせ200単語の指差し)が必要ですからね!親は、つい話させようと(=アウトプット)焦りますが逆効果です。(後述)


さて、母の話に戻りますウインク

姉と妹弟との当時の様子について聞きました。

「あなた達は、良くひろんこの後ろを楽しそうについて回って一緒に遊んでいたわ。ただ、ひろんこは、妹にママを取られたという気持ちが強くて、弟よりもあなたばかり攻撃していたわね」


私には3才ちがいの弟もいるのですが、確かに、姉は私ばかりを狙って攻撃してくるので、弟が羨ましかったことを記憶してます。
みんなで車に乗ると(私が助手席、姉は後部座席、弟は母の背中)、後ろから必ず髪の毛をひっぱられました。変にリアクション取ると余計姉の怒りを買うと理解してからは、私は車内では寝たふりをしてました。
日常的にどこにいても突然たたかれたりするので、よく泣いていたことも覚えています。

車に乗ると髪をひっぱってくるのは、頻度は減りましたが私が高校生まで続きました。(今も機嫌悪ければやるかもなぁ)



でも、私は決して姉を嫌いだったわけではありません。



度は父親からの思い出話。


「ひろんこが小学校入る前、みんなで京都に行った時に、ひろんこが走り回って奇声をあげてても、あなたは『あれ、わたしのお姉ちゃんなの』と周りの人に話ながら、ニコニコしながらついていってたよ」


これは私は記憶にないエピソードです。
大人なら感心しますね。でも、幼い私はフツーのお姉ちゃんというものを知らないから、ひろんこは、「私の大好きなお姉ちゃん」だったのでしょう。




私が小学生になったあとも、ひろんこはやっぱり私の姉でした。パッチリ二重瞼の美人な3才上のお姉さんなので、(私は一重まぶた) 体の成長とか、羨ましかったです。


わたしのお姉ちゃんは障害児って言うんだよ、普通じゃないから面倒みてるんだよI


って、小学生のころ友達に少し自慢げに話していたのを覚えています。

後ろめたさとか、恥ずかしさみたいなのは全然感じていませんでした。むしろうちは特別なんだ!って感覚でした。


ただ、ひろんこは、日中は障害児向けの小学校に通っていニコニコしたが帰宅するとすぐ裸になって過ごしたり(感覚過敏のため、服が嫌い)、部屋が片付くことがなかったので(当時、ひろんこは、オモチャやガラクタでテーブルのうえに大きな大きな山を作るこだわりがありました。)  うちにはほとんど友達を呼べなかったのが残念だったのを覚えています。



私が小学4年生になるとき、大きな変化が訪れます。

父の仕事の都合で海外に三年間住むことになりました。実はその間、両親の判断で、姉が置かれる環境は劇的に変化しました。母は判断ミスだったと振り返っています。
変化に弱いため、ひどいストレスを中学生の姉にかけてしまう結果となりました。その影響で姉は退行し、それまで出来ていた身の回りのことが出来なくなり、すごく荒れたり脱走するので目が離せなくなりました。
数種類の安定剤が精神科から処方されるようになったのもこの時期です。


の状態がこのあと何年も続きます。




②へ つづく…