~30年間を振り返り、自閉症を育てた私の母が語ること~~
①からの続き…
弟は当時どう思っていたかは知りませんか、私は中学・高校と多感な時期に入ると、心境も変化していきます。
姉への関わりは最低限にしていました。
食事中にテーブルをひっくり返すなど、散々家族を困らせる姉。
さすがに何回かは
「どうしてうちだけ?!!
ひろんこなんていなくなればいいのに!!死んじゃえ!」
って、思ったことがありました。
ただ、そう思ったあとは、いつも悲しくなり反省していました。
幼い頃に聞かされた母のこんな言葉が身に染みていたからです。
「ひろんこはね、妹と弟の悪いところを全部代わりに引き受けて産まれて来てくれたのよ。だからね、言葉が話せないし、限られた世界でしか生きられない。あなたたちみたいに色んなことを楽しめないの。だからね、お姉ちゃんに感謝してね」
医者になろうと決めたのは、
「薬漬けの姉を助けてあげたい、姉のような人を救いたい」という思いがありました。
今、私が自分の仕事に誇りをもち続けていられるのも、ぶれずに毎日過ごせるのも、姉の存在が大きいです。
お気楽キャラな弟も社会人になる頃に言っていました。
「ひろんこがいて良かったよ、他の人が体験できないことを体験できたから」
長くなりました。
私が担当する発達専門外来では、自閉症などの発達症児を抱えて相談に来る親御さんたちにこう伝えています。
すでに兄、姉がいるならラッキー!家庭教師として色んなことを教えさせましょう。
もし、きょうだいがいないなら、作るのを諦めないで欲しい。
妹弟になる子供が可哀想だから…一人でも手一杯だかは…と諦めないでほしいです。
確かに大変だと思います。
でも、得られることが遥かに大きい。
そもそも、きょうだいが可哀想って周囲の大人は思うかもしれませんが、
可哀想かどうかは、
そのきょうだいが決めることでは?
還暦を過ぎた母は、孫の世話に加えて今でも子育て真っ最中のママです。
姉と二人で街に出かけて外食したり、洋服を選んであげるたび、スマホで撮った姉の写真を送ってきます。
私も弟も親元離れて結婚して子供もいますが、
今でもときどき母は言います。
「ひろんこのせいで、なんだかあなた達に可哀想なことしたわね」と。
そのたび私も弟も、そんなことないと否定します。
私も弟も幸せに過ごしているし、不幸とか思わない。
母はこういいました。
「そうね、確かにあの頃は大変だったけど…あなた達みんな、とても楽しそうだったわよ。」
さて、大人になっても心に残るような言葉を、
これから私は息子と娘に何回かけられるでしょうか。
(おしまい
2020.5.17追記 エピローグへつづく