普段訳分からない英語の論文読んだりして、理解できなくても、英語の問題じゃないときもあるけど、たとえばBhabhaの DissemiNation...、でも小説読むときは私は日本語が好き。英語が原作でもなんか英語で読むと、その世界に入っていけない。

もともとあまり小説読むほうじゃなくて、小さい頃からあまり本とか読んでなかったけど、いくつかはまった小説がある。でも、始め英語の原作読もうとして、あまりその世界に入っていけなくて、日本語で読み始めたら、もう3,4日そちらの世界にいってました。去年の夏はワイルド・スワンを読んだ。、歴史と人間の関係が なんともいえない感動と、驚きをくれた。上海の長い夜は上だけ読んで、学期が始まっちゃったから、下はこの夏に読み終わりたい。でも、スローターハウス5も是非読みたい。英語でよんだとき、なんか混乱してはまれなかったけど、日本語で読んだら違うかも。やっぱり、言葉ってコミュニケーションだけの道具ではない。なにか体に染み込むものだ。かといって、すべて日本語が適してるわけじゃなくて、論文書くときは英語のほうが適してるときもあって、日本語ではうまく説明できないものもある。英語は私にとって、今はただのツールという感じ。特に英語自体は大して興味ないし、好きじゃない。
日本語はなにか、心に響く。とかいって、ただのノスタルジアかな?
言葉によって、どのていど人間の感情とか影響されるだろ?
どの程度第二ヶ国語は、私に染み込んでくれるだろう?
もし、私のアングリー、アンハッピーホルモンが、ハッピーホルモンだったら、今頃私は、ものすごく笑顔の似合う幸せな人に見えるだろう。でもそうじゃないから、私はいらいら、アンハッピーな人になっていく。それは良くない。
学期の終わりは、体力勝負。どこまで体と頭が働いてくれるか。
一番大切はペーパーを書かなきゃいけない時期が一番疲れてるときって、なんとも残念。でもそこで力を出せるのがやっぱり、能力。

最近すごく尊敬できる先生に会った。是非その人の下で勉強がしたいと思ええる先生。でも、その先生は違う大学にいた。学部外指導教官として、頼むこともできるけど、いろいろポリティックスや、将来のこともあって、すごく葛藤。個人的にはものすごく、その先生にコミッティーメンバーになって欲しいけど、その人の研究と私の研究は、そこまでマッチしてるわけじゃなくて。でも、理論的にはすごくいいアドバイスをくれるし、なんといっても親身に質問とか答えてくれるし、生徒のことをすごく大事にしてる感じ。でも普通、担当アドバイザー以外に、学部外から自分の専門の分野の先生を一人入れるのが将来就職の時にも役に立つらしい。
学部外指導教官を2人いれるのは、あまりないと聞いた。あ~あの先生が私の大学にいたらどんなにいいことか。私にとって、心から落ち着いて話せる先生ってあまりいない。先生によっては、私のこの礼儀正しさ?と腰の低さ?がなにもできない学生に移る時もあるみたいだしさ。
自分の好きな先生を世界中から集めて学部が作れたらどんなにいいだろう!