Possible とImpossibleの間を生きている感じ。
すこしでもpossibleの領域を広げるために、Impossible をpossibleするために。

でもその possible のboundariesを広げるためには、常にpossibleとimpossibleのぎりぎりの境界線にいなくてはいけない。
すこしでも、possibleの快適なところにいると、絶対その境界線は広げられない。

これまでかなり私のpossibleの領域を広げてきた、でもこれ以上どれぐらいいけるだろう?努力だけでこれ以上広げられるか?
でもやるしかないし、やりたい。
それならわたしのあり方はいつも becoming なのか?
なんだか、ものすごい不安感に襲われる。なにかが間違ってるのか、遅れているのか、うまくいってないのか。

他の学生がどんどん新しい事に応募して、始めて、でも私はめんどくさくてやらなかったんじゃなくて、ただできなかった、応募する資格がなかっただけだけど、なにか私は乗り遅れてる気がして、どうしよう。

学期の終わりになって、精神だけじゃなくて身体的にも疲れてきてて、集中したくても集中できない。頭が働かない。ものすごく能率が悪い。でもやらなきゃいけないことは山ほどあって、それに追いつけない。自分の100%を出し切ってないのが実感できる、それがものすごく自分で腹が立つ。わたしはいつも120%以上やらなきゃ、いけないのに、100%もだしきってないなんで、なんてだめなんだ。

落ち着いて今できることを考えよう。今できること、今日できること、明日できること、具体的に考えよう。
今日できること、明日の先生とのミーティングのためにドラフトを提出する。
落ち着いて、少なくても2チャプター読む。
明日は、先生に会う。そのあと、少なくてもチャプター4まで読み終わる。

でも心配なのは3ヵ月後、半年後、3年後、10年後。
でもそれを心配しても意味はない、今できることを一つ一つこなしていかなければ。
焦っても時間の無駄。落ち着いて、一つ一つできることを着実にやっていこう。
5個の論文を焦ってスキムして、意味分からないより、1つの論文をしみこむまで理解したほうがきっと役に立つ。
遅れとは、相対的なもので、実際あるべき速度なんてないはずだ。
自分の自分のできることを、できる限りの力でやるだけだ。
焦って、落ち込んで時間を無駄にしてはいけない。
できもしないくせに、階段3段飛ばして、転ぶより、一個一個ゆっくり上るほうがいいはずだ。
相田みつをだって、夢はでっかく根は深く、っていってるじゃん。

ここまで、人生外れた道きて、1年の遅れなんて大したことない。
それよりも、自分が納得いくまで勉強しよう。卒業するために始めたんじゃない、勉強するために始めたんだ。

自分にいいきかせるために、また明日これを読んで、自分を励まそう。
夏の研究助成金がとれなかった。去年もらったから、2年目は多分だめだろうと思っていたけど、やっぱりだめで、すごくくやしい。夏の研究予定も、少し変えなきゃいけないかも。でも、なにが悔しいかって、取れなかったことは悔しいけど、選考の仕方がすごく、曖昧で、研究の内容や、プロポーザルのできあまり関係ないっぽいのがむかつく。いくら時間かけて、すばらしいプロポーザルかいても、去年もらったから今年はだめ、ってなら、始めからいってくれれば、そんなに時間かけなかった。

しかも留学生は他の学生が応募できる民間や政府の奨学金は応募できない。その時点で私が応募できるものが他の学生の半分ぐらいになってる。日本のフルブライトはある一定期間外国に住んでると、応募できないし、アメリカのフルブライトはアメリカ市民だけだし、私はなんでもない人だ。留学生って、ここで勉強して何か得なことあるのかな?

でも、絶対リベンジしてやる。本番は半年から、1年後の博士論文奨学金だ。それはプロポーザルの内容だけで、選考される。まあ、トレンディーなトピックとかは有利だろうけど、どれだけ自分の研究をトレンディに見せるかも、自分の能力だ。絶対、リベンジする。いまから、また心を入れ替えて勉強する。わたしはここに学ぶためにいるんだ。いらいらするためにいるわけじゃない。勉強して、勉強して、勉強して、リベンジしてやる。