「なんか不調・・」「なんか嫌だ・・」

 

こういう身体的感覚は理性より大事にした方がよい。

人体標準装備の危機回避本能が働いている証拠だからだ。

 

そんな危機回避本能本能への忠誠を最近誓った。

例えば、不調時の起床の放棄照れ 具合が悪い時は

無理に起きない。体の「休息枯渇警報」だからだ。

加湿器の水がなくなったら、

加湿器は置かれた環境に潤いを与えることは出来ない。

置かれた環境で自身を発露させるには、

常に英氣の補給が必要なのだ。枯渇はNG。

 

長年の間、ぼくは仕事やお客様のために、

時にウ⚫︎コもオシッコも我慢して仕事に励んだ。

それで慢性便秘になった。

接待で身を張って地獄の二日酔いの中でも仕事した。

それで自律神経が崩れた。

今、Well-beingの尊重が市民権を得て本当に良かった。

 

「異和感」に気づきそれに遅滞なく対処すれば、

「不調」は自然に遠ざかっていく。

きっと社会もそうだ。今、社会のあらゆる異和感に、

あらゆる角男から声が上がっている。

社会の心が「調和」を取り戻す日も近いだろう。