自分のことしか考えていない、

ということに気づいて、

なぜかホッコリした。

 

わたしたちが生まれてくる目的は、

たったの3つだそう。

  1. ママを幸せにする
  2. 自分を(知り)、そして幸せにする
  3. 周りのみんなを幸せにする
1は、5歳までに誰もが達成するらしい
子の母に対する無償の愛は太陽より眩しい
2は、試行錯誤や多くの経験から学んでいく
恐らくはいちばん時間のかかるプロセスだろう。
3は、自他を超えた深い慈悲心の体得。
1〜2を全身で体験し尽くすと、
自然に到達するであろう境地走る人
 
今の私は、3に移行する地点にいるのだ。
そう考えると、嬉しくなる。
日本人はもともと、主語に「私は」と、
いちいち言わない。自他の境界も曖昧。
 
そんな風土日本の中で、いつか慈悲心の権化となれたら、
この人生はアッパレ大成功だ照れ

「一体何が正しいのかわからない」

と感じることが最近ますます多くなった。

多様性という名を盾にした言論統制も厳しく、

守るべき礼節すら肩身の狭い思いをしている。

 

正しさって一体なんだはてなマーク

 

一見正しいけれど肚落ちしないことはたくさんある。

美味しいものに化学調味料や添加物が多く含まれるように、

正しさの中にも妙な調合物が含まれているのだろう。

美味しいはずだけどなぜか胸焼けする感じチョコカップケーキ

 

安易な二極判断(正or誤)に逃げる前に、

全ては「その場限りの」「相互作用」と、

一歩下がって俯瞰する癖付けも必要だろう。

まさに臨機応援の構えだ。

所業は無常で、常識も流行もすぐ移り変わる。

 

ならば、正しさを追求する代わりに、

皆がそれをしたらどうなるか?

それは自然か?

それは美しいか?

それで皆がしあわせになるのか?

という問いに置き換えて、

身体的に考えてみる。

そうすると理性の霧がしばし晴れて、

景色の全容がすっと視界に現れる。

その場、その状況に応じた、体温のある答えが

自ずと表出してくる気がしてならない。

 

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I no longer capture what's right in this world. 

Under the name of diversity, our mouths are shut, depriving us of freedom of speech. 

Even a once-very-much-treasured-common courtesy has no place to breathe in society right now.
But what is "righteousness" in the first place?
Many right things can be causes of various troubles. 

As delicious foods contain harmful chemicals, 

the right things contain something unfit. 
Before jumping into a bi-polar decision such as right and wrong, 

it's better to pause and take a step back to see the entire picture of the circumstances.
Buddha once said that every phenomenon happening in this world is mutually dependent and temporary. Everything changes. Common sense and anything in fashion will vanish as time goes by.
If that's the case, ponder what would happen if everybody does that instead of pursuing what's right. See whether there is any beauty, naturalness, and happiness for?
Once we shift our focus on what's described above, logical fog will be blown away from our eyes and let us see the whole landscape. 

That's when we can devise the best solutions with humane warmth in each unique circumstance.
 

運動のしすぎでギックリ背中になった。

1週間強制的に大好きな運動を全てストップ。

でも、一見マイナスに思える事の裏には、

いつも物凄い恵みと気づきと学びが隠されている。

元気に動き回れる時には気付けなかった、

自分のもうひとつの好きなことを久々に思い出せた。

それは、書いて、読んで、調べて、訳して、味わうこと。

机の上で鉛筆を握って思索に耽ることが大好きだったのだ。

 

そして絶妙なタイミングで母から歌詞の訳しを依頼された。

和語を忠実に表現する言の葉を探す旅に出た途端に、

自分が昔大好きだった歌にふわりと再会した。

中学2年生の時の修練合宿で教わった友愛の歌。

歌詞とメロディと郷愁に涙が止まらない。

【松原湖畔にて】

この歌を聴くと、一人一人が皆等しくこの世界に求められて

生まれてきたことが確信できる。互いを大切にし合う自然さ。

ギックリ背中が、そんなことを思い出させてくれた。