今のこの現状を、少しでも多く発信していかなきゃいけないと思いました。
ボランティアの数もだいぶ減ってきてしまってるみたいです。
みんな忘れかけてる。
家がそのまんまで残ってました。家の中のものがそのまま残ってるし(残ってるといってももうぐちゃぐちゃで使えないですが)誰も撤去しないのかと思ったんですが…
そうです。家主がいないのです。恐らく、流されてしまったのだと思います。
だから7か月たってもこのままなんです。




わかりまでしょうか?家はあるんですが、全部窓が黒い。よーく見ると吹き抜けてるんです。
わかった瞬間背筋が凍りました。
この写真は廃屋達ってことなんです。


この瓦礫の中には化粧品や鏡やらありました。
家が傾いて、さらに一階がないですね。

これも、向かい側が見えてるのわかりますかね。

もともとの風景を知らない我々ですら、息をのむような景色なのに、もともとの景色を知っている人たちの想いは…

ここは自動車工場だったんでしょう↓




このトラックの荷台の上。

よく見たらPS2のソフトとカビキラー↓
あるはずのないところにこんな日常が流れてきたんだ…

この家が一番ひどかった。

手前のは大型のテレビです。きっと裕福な家庭だったんでしょう。


もう、映画のセットみたいでした。あまりにひどすぎて、現実とは思えなかった・・・

金庫…意味なっ

これは、もともと線路があったところ。もはや泥がかぶり、草が生え、線路として機能してません。

家がまるごと流されて、基礎のコンクリだけが残ってた。

それでも、この家の方なんて、なんとかベニヤをはって住んでます。

住んでる人もわずかでしたがいました。トイレを借りたおうちは、もう2階は全くの新居のまま残ってるのに、1階が丸ごと流され鉄骨むき出しの、建てかけの家状態。それでも2階に住んでるんです。
と考えたらもう、涙が止まりませんでした。こんな状態、私だったら復活しようなんて思えない。なのに前をむいて頑張っていこうとしている被災地の人たちの精神力って、改めてすごいと思いました。
それなのに!
終わってから役場に戻った私達に梨とおにぎりを現地の方々が振る舞ってくださいました。
私達、ごちそうになるような立場じゃないのに・・・
やはり生で見るのはテレビやネットで見るのと、胸に迫ってくるものが違いました。
想像以上でした。
あと思ったこと。
圧倒的に若者の力が必要です。ご年配の方はとてもじゃないけどやれない作業でした。
これから冬に向けてまたボランティア人数が減ると思います。年内にもう一度くらい行きたい。
継続して支援することが大事だし、何より風化させてはいけないですね。
皆さんにもこのブログを通して何かを感じ、アクションしてもらえたらいいなと思います
