ある日の夕方、一緒に暮らしているパートナーとパン屋さんに向かいました。
翌朝に食べるバケット(全長30センチくらいのフランスパン・1本¥300)を
手に入れるためです。

他のパンを買う予定もなかったので、お店に入るなり、私はカゴに入った
バケットを手で1本抜いてレジに持っていきました。

すると、レジを打つ店員さんがこう尋ねてきたのです。
「いま焼き上がったばかりのバケットが店の奥にあるので、
そちらに取り替えましょうか?」


私は即座に断りました。
翌朝に食べるバケットがいま焼き上がろうと、そんなに有りがたみはないし、
既に手で触った商品を取り替えてもらうのは心苦しかったからです。

ところが、隣りにいたパートナーが、「焼きたてのほうがいいなあ~」と
呟いたのです。
おそらく彼女は、私が触ったパンが何らかの形で利用されると、
楽観的に考えていたのでしょう。

一方、私は “店の奥で捨てられてしまうだろうな” と予想して、
再度、「取り替えなくて結構です」と主張しました。

店員の女性は、“少しでも美味しいパンを食べてもらいたい” という
思いからか、パートナーの呟きを聞き入れ、店の奥に入っていきました。

ここから、信じられない光景が繰り広げられました。

焼きたてのバケットを抱えて戻ってきた店員さんは、私が素手で触ったほうを、
ビニールやらレシートやらの入ったレジのゴミ箱に、躊躇なく捨てたのです。

声を失うパートナーと私。
その素振りにまるで気づかず、揺るぎない笑顔でレジを打つ店員さん。
ゴミ箱から覗くバケットを横目に、代金を支払う私。

“
もったいない!” と思っても、ゴミ箱に入ったバケットを買い戻すとも言えず、
足取り重く店を出ていきました。
右手には、まだぬくもりのあるバケットを抱えながら・・・

私が素手で触らなければ、“バケット問題” は起きなかったかもしれません。
パートナーの楽観的観測にも罪はあるでしょう。
実際、“共犯意識” が邪魔をして、その場でクレームを言うことができませんでした。

しかし、目の前で商品を捨てる無神経ぶりは、サービス精神の発露であろうとも
許されるものではありません。

その店員さんは、バケットに¥300の価値があるとは思っていないのです。
いくら少額とはいえ、¥300の現金をゴミ箱に捨てたりはしないでしょう。

この事件は、私に教訓を授けてくれました。
“
価値を認めていない商品を売る営業マンには、決してなるまい” と。

もし、あなたの会社に営業マンが訪れたら、こう尋ねてみましょう。
「そんなにいい商品なら、当然、御社も使っていらっしゃるんですよね?」

自社で販売している商品を自ら利用していない企業など、星の数ほどあります。
それ自体を指して、商品価値を否定するのはフェアではありません。

この質問に対して、営業マンが答えるべきは次の2点。
“
自社ではなぜ使っていないのか?” と “なぜ御社に勧めているのか?”

これらをスムーズに答えることができない営業マンは、自分で販売している
商品の価値を突き詰めて考えていない、そう断定して良いでしょう。

ちなみに、“バケット問題” 以降、私はそのパン屋さんに足を運んでいません。

“営業マンとしての自分のウリ” を、私はこう考えています。

例えば、私のクライアントが広告代理店のプレゼンを受けたと想定します。
代理店御一行がゾロゾロ帰った直後、恐らくこう思うはずです。

“う~ん、スライドのボリュームとビジュアルには感心するけど、
 いつもと代り映えしないなあ”
とか、

“「ユーザーとのリアルなコミュニケーションがカギ」なんて言われても、
 今日の提案にリアリティが無いからなあ”


そんなとき、私の顔を思い浮かべていただけないかな、と。
“行き詰まったら、Kさん”、と。

そんなブランディングを秘密裏に進めようと、企んでいるところです。
(あっ、言ってしまいました)

ところで、皆さんは座右の銘をお持ちでいらっしゃいますか?

私は20歳のころ、わかりもしないジャン・ポール・サルトルに手を出して、
こんな箴言に出会いました。

“自分を必要不可欠な人間だと思っている奴はサロー(大馬鹿野郎)だ”

以来10年以上、自分にそう言い聞かせて生きてきました。
謙虚な気持ちを思い起こすに相応しい言葉です。

しかし、新たな職場でポジティブな、現在の私にはマッチしないので、
座右の銘を更新することに決めました。

では、発表します。

読点ごとに十分タメをつくりながら、ゆっくり声に出してみましょう。
あまりにバカバカしいので、意味不明な元気が出てきます。

“オレは、営業の、神様の、子供”

「営業」をご自身の職業に置き換えて、ご利用ください。