昨日はなにかと
平成最後の
平成最後の
とアナウンスがあり


なんとなく
「やり残したことは無いか!?」
という少し焦るような気になりました。


(四条河原町
元阪急百貨店の壁にあった
今まで気づかなかった!
この作品の意図はなんやろう???)




平成最後の昭和の日
2019年4月30日は
祖母のお墓参りへ。

やり残したこと
と言えばお墓まいりだったので。


大正うまれの祖母。

商家のひとり娘として
大切に育てられ
乳母もお手伝いさんもいたので
家事育児はしたことがない

そんな祖母が
戦争で何もかもを失いました。


歴史的建造物があるので
比較的戦火を逃れたと言われる京都市も
疎開先から帰ると
家はない
夫も戦死

こども二人を連れて
着替えも食べ物もろくになく
途方に暮れた祖母は
キャバクラ的な所で
働き始めます


お客さんが帰らはったあとに
残ったかわきもん(おつまみ)を
おトイレに持っていってこっそり食べたんえ

パンツもいっこした無かったから
半乾きのパンツはいて
仕事してたわ


という祖母


その後年下の男性と再婚し
おじと私の母が生まれました(昭和24年)


そして離婚


ひとりで4人を育てつつ
木屋町に自分の店を持った祖母

(はじめはキャバクラをしてたのですが
女の子のギャラが高く儲からないので
鉄板焼屋さんを始めました)


鉄板焼屋は年中無休で
祖母は働き詰めだったので
私の母は寂しい思いをしたようですが
祖母に言わすと

そんなん、
働かんと食べていかれへんのやさかい
毎日必死え!
(生粋の京都人なので京言葉しか話せません)




私の知る「戦争」は
祖母から聞いたこの話が全てです

京都にうまれ育った
ひとりの女目線のこの話です。



ひとりひとりの「必死な日々」が
京都を、日本を
復興させたんだなぁと思うのです





20年前、
私が京都に住んでいた頃

おんなじこの土地で
着るものも乗り物も違う時代が
あったんやなぁ
なんてほわっと思っておりました。

外国と戦争することは無くても
血なまぐさい出来事が
たくさんあったと思います。


のほほんと暮らしていることに
不思議な気持ちになったことを
思い出しつつ
昨日、
人でごったがえす
京都を歩いておりました。






さて、
新しい「令和」は
どんな世界になるのかな?



私は
「自分の価値観で心穏やかに生きる」
ことを大切にしたいと思いました。


平成はどことなく
「他人の価値観」で生きてた気がするので。


結婚もしたから
お金やパートナーなどについて
考えることも多かったですし
他の人を羨ましく思うこともあったし。


私の人生でおそらく最後の年号。

私 の人生を
めいっぱい生きたいと思います。


皆様もご機嫌さんで
お過ごし下さい♡


祝日なので?日の丸?
ちょうちんは鴨川をどりの宣伝

四条河原町にて
お向かいは高島屋


祖母が必死で生きた街
この街が大好きです