はじめに
あの2・26事件から早、88年が過ぎようとしています。
当時の青年将校たちの気持ちは分りますが、昭和天皇の重臣たちの大量暗殺は取り返しのつかない大きな誤りでした。
1 2・26事件の原因は
当時の政治の腐敗と大不況等だと思います。
2 首謀者は誰であつたのか
真崎大将か?
3 反乱軍将校の刑は
全員銃殺刑
4 反乱軍参加将校の家族は
非国民とか国賊とかに
5 その後の大日本帝国の進路に大きく影響
(1) 1937年7月の日華事変
当時の報道は戦争状態を事変と報道しました。
当時の臣民は政府からだまされていました。
(2) 1938年8月の張鼓峰事件:未報道
ソビエト軍の強さを知りました。
が、帝国陸軍の近代化はなされませんでした。
(3)1939年5月から9月までのノモンハン事件
満州国軍の参謀たちの独走による第23師団の敗北
連隊長クラスの自決等。
(4)1940年 3国軍事同盟
ドイツの国力・戦力の過大評価の誤り
(5) 1941年12月8日真珠湾攻撃
大日本帝国はアメリカに勝てる根拠はありませんでした。ハルノートを承諾すべきでした。
(6) 1945年8月15日 無条件降伏
遅すぎた決断でした。
おわりに
パプアは政治のことは分りませんが今の与党の独裁政治状況を打破しないと日本国がおかしな国に進むと思います。
裏金議員は国民にわかりやすく説明をすべきです。
国民は武器でなく言論で法律違反を起こした裏金議員たちを排除すべきです。
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