はじめに
ロシアがウクライナへ侵攻してまもなく2年になりますが、パプア戦は大日本帝国が無条件降伏するまで約3年半も続いてやつと終わりました。
戦場の1日は長いようです、2年も3年も飢餓と病と強敵と戦えば心身共に疲労・ストレス等は大変なものだつたでしょう。
さた、パプア戦語られて、79年!
関係者はこの世に殆どおられません。殆どの戦死公報はいかにして戦没したのか?不明点ばかりです。
少しでも真相を知りたいと思います。
御訪問される方にパプアの知らないパプア戦を教えてください!
情報のご提供を!
1 1943年2月のパプアの戦況
(1)南海支隊がほぼ、全滅してサラモア方面へ後退中
(2)第51師団の岡部支隊がワウ飛行場攻撃失敗、敗退中
(3)第20師団、第41師団、第一八軍直轄部隊等がウエワ
ク、ハンサ等へ上陸
(4)飛行第6師団部隊の一部がウエワク飛行場へ進出
約半年後の9月30日に大本営は絶体国防圏設定。
第五一師団等の部隊はラエからサラワケツト山超えて後退中。
9月22日、米豪軍はフィンシューハフェンに上陸。
第20師団主力は同地へ移動、攻撃準備中。
東部ニュ-ギニアは圏外に、捨て石にされました。
2 1944年2月の戦況
(1) 第20師団、第51師団、陸軍航空隊の一部、その他の部隊がマダン地区からウエワク方面へ後退中
(2)ロスネグロス島守備隊ほぼ全滅
約2ヶ月後の4月22日、米軍、アイタペとホランジアに同時上陸、4月29日には第20師団長片桐中将戦死。現役師団長の戦死第一号。パプア戦は絶望的でした。
3 1945年2月の戦況
(1)豪陸軍第6師団がアイタペ方面からウエワク方面と山南方面から進撃中
勝てば官軍負ければ賊軍!負け戦の悲しさ!
生きて帰れぬニューギニアだつたんです。
おわりに
当時の内閣は1944年七月までは東条内閣でした、その後1945年4月までは小磯内閣でした。
軍人が首相になるという当時の大日本帝国、本来の政治家の能力はありませんでした。
パプアへ送り込んだことが記憶になかつたのでしょうか?
約束の米も届けられませんでした。
将兵は飢えに飢えて下記の動物を競争して食べ生き延びたそうです。
「馬鹿な指揮官敵より怖い!」語るも涙!聞くも涙!悲しすぎる戦場でした。
パプア戦の教訓を忘れないでほしい。
話は飛びますが、
今日2月19日、今から79年前東京都の一部、硫黄島に米軍が上陸した戦史をご存じか知りませんが、同島のご遺骨収容に時間がかかりすぎています。
現在の日本国政権与党の一部の政治資金未記載者は国民が理解できるように説明をし罰として硫黄島戦没者の遺骨収容基金にしたらいかがでしょうか?
理想の世界一民主主義で平和な日本国、平和国家建設に政治家は努力・邁進すべきだと痛感いたします。
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