恐怖について | 真の意味での『己育て』を・・・♡


恐怖って とても嫌じゃないですか。




 

私は 男の人の大きな声が死ぬほど嫌いです。

とにかく嫌いだし それをされると一氣に冷めます。




 

男性のスポーツ系の応援の声も実は苦手です。

声変わりしたドスの効いた低い声で大きな声量を出されるのが嫌いなんですよね。

 



 

恐怖や嫌いって それは 私の問題であって

している相手を非難するというか それをしているからどうだ。

という感じでは無いんですよね。


だって、ドスの効いた声って 男らしくて好きな女性もいるわけです。なんなら好きな女性の方が多いんじゃないかな?


 

ただ 私は 大嫌いなので 徹底的に 自分の世界には入れない。

そう決めているだけです。



テレビを観てて 嫌な場面があったら消す。

みたいな。



 

あとは タバコに似てる?かな。

 





私は タバコの煙も大嫌いなので

タバコを吸いたい人は吸えばいいけど

私の周りで タバコ吸うなら 私はその世界に身を置かない。

って事です。

 

 

 

 

恐怖は 悲しみともイコールだったりすると思うのですが

それが 恐怖になるには その人の過去の記憶などの意識が 恐怖と認定していたり 変換して 認識している事で起きる感情なんだよね。




 

 

過去でありながら 今である。




 

過去 その声が 怖いから 今も 怖いを引っ張り出して紐付けしている。

 

 



今では 恐怖が湧いた時は そう俯瞰してみています。

 






そして だから恐怖なんだと 知っていると 

その恐怖を感じても感情の中に深くはまってしまう事は避けられ  早めに心の穏やかさが復活します。


 

 

 

 

 

それが 意外と大事だったりするんじゃないかなって思います。






 

 

 

前にも書いたけど 

人の機嫌とお金はとってはいけません。

 

 

怒りたい人は 怒りたいし 怒れて 感情出せてよかったね。

 




それを味わった先が大事なんだと思います。




 

その怒りを ただ感情のままに出した。




それで終わり。

 




をしちゃうから 同じことで怒りを繰り返す。






大切だと思う人も そんな人のそばには居たくないのだから

変化がなければ 居なくなるのは必然。

 

 

 



その感情を コントロールしてはダメなんだと思います。

味わうんだと思います。




怒った後に

気分転換にネットサーフィンしたり お酒飲んでみたり。


数回はいいかもしれないけど それって 感情に背を向けてるだけ。


自分の味方すらいなくなった 感情は また同じように爆発するでしょう。

 


 

何度もなんども繰り返しても

その感情を そのまま 吐き出して 解決したと思っているから

同じことの繰り返しが起きるのです。



味わうって その怒りをとにかく味わうの。


 

 

自分の感情を 知るって そりゃ怖いでしょうね。

だって 過去の色々を浮き彫りにしなきゃかもしれないし

気付かなかったドロドロの感情を知らなきゃならないかもしれないし。

 



でも それら全て言っておきますが

美しい感情ですからね。




 

感情って 生きてないと持てないんだもん。

どんな感情も 美しいのです。




 

認めてみたら いいんじゃないかな。

 



 

それをした後 先にあるものが あなたがなりたい自分。

作りたい自分。 それが 在ると信じて 進んで欲しいな。

 

 

 

私の恐怖も 本当は 恐怖でいたら 苦しいけれど 実はそれで居るのが過去は楽だったのよね。




でも ただ恐怖だった。





よしよし 大丈夫。美しい感情だよ。

 

今はそう思ってます。

 




全ての人間に それができると 思ってます。





感情に私たちは左右されちゃうのだけど

左右されちゃう事が出来るのも 人間であり 命があり 生きている証みたいなものです。




それすら 味わって 感じて 体感してみて、

その先 を 創り出してみよう。


それを出来るのも 人間だから。



素晴らしいよね 人間って。