昨日は「戦車闘争」の上映会にお邪魔してきました。
戦車闘争はベトナム戦争終盤の1972年、本市にある在日米陸軍相模総合補給廠の西門前と、横浜市道の村雨橋付近の2拠点で起きた市民による政治闘争です。
当時米軍がベトナム戦争で破損した戦車を相模総合補給廠で修理した後、横浜ノースドックを経由して戦地に再び使用すべく輸送していました。

1972年の相模原市は人口約30万人、当時の様子を知る人も少なくなりました。
基地と共に生きているのに、それを生活の中で意識する市民は決して多くありません。
相模総合補給廠は一部返還が決まり、共同使用地においてはスポーツレクリエーションパークの整備が進んでいます。
一部偏向的な切り取りがあったようにも感じましたが、先人たちの歴史を学び、まちづくりに魂を落とし込まなければならないと思いました。

今まさに相模総合補給廠のある相模原駅北口のあり方について、市民の皆さまにアンケートをお願いしているところです。
多くの意見に触れる前に、再度本市の歴史を振り返ることができましたことに感謝いたします。