「公私」のうち、現役の経営者という「公」の立場の頃に感じたことは「孤独」で記した。
「私」で言えば、大きなストレスを引きずった結果、うつ病を発症して、自殺未遂を起こした。その引き金を引いたのは傍にいた元妻だった。それが自分にとって最大の離婚理由になった。しかし、離婚というのはどちらかが一方的に悪い訳ではない。元妻にも何某かの言い分はあった。結婚は簡単に勢いでできるが、離婚は大変な労力を要するとよく聞いたものだ。自分たちは子供たちも社会人となり独立していたこともあって、いとも簡単に円満熟年協議離婚した。離婚届の証人2名は子供たちが署名した。
天寿を全うするまで夫婦で人生を歩むとき、妻は夫に先立たれても、長生きする場合が多く、翻って夫は妻に先立たれたら後を追うように亡くなることが多いと聞く。ひょっとしたら男性はいくつになっても女性より精神的に弱いのかもしれない。
さて、自分は人生の伴侶を失った。和歌山時代から日々の暮らしや出来事を傍で話せる相棒がいなくなった。寂しさは年々ボディーブローのように効いていった。その後マンションの役員をしていた時に同じマンションの住人から酷い誹謗中傷などの不法行為を受けた。当然、訴訟沙汰になり法的に白黒をつけなければならなくなった。結果的には完全勝訴になったが、そこに至るまで約1年近くやるかやられるかの闘いになった。周囲の人たちは口では応援していると言ってくれるが、結局当事者ではないので火の粉を被らないように誰も他人事で傍観者だった。
この辛い時期も自分の味方になって自分が正しい、不法行為の相手をやっつけろと言い、うんうんとそうそうと話しを聞いてくれる相棒が本当にいてほしいと思った。自分も男なので精神的に弱いのだと思う。
そして今年1月末、和歌山から故郷大阪に戻ってきた。大阪には妹家族、娘家族、叔父叔母家族、従兄弟家族など親類縁者がすべている。十代からの友人知人もいる。みんな自分や同居の高齢の母に何かあれば、飛んできてくれるはずだ。
しかし、自分には日頃の何気ない出来事を相談する相棒がいない。心許せる、心通わせる、何でも話ができる女性がいないことはとても不幸なこと。そんな大切なことに今頃気づくのは手遅れだけど、だからといって元妻との離婚に後悔や未練はまったくない。
今、熟年世代で夫婦でいれることは何にも代え難い素晴らしいことだと思う。夫婦の数だけ夫婦間で抱える事情や問題があると思うけど、お互い許されるなら夫婦で最期まで添い遂げてほしいと自分は思う。離婚した自分が偉そうに言えることではないが。
自分は神様から与えられた「孤独」という運命を死ぬまで背負っていかなければならないと思う。
