本当の友達
自分の人生を振り返ってみると(まだそんな歳ではないが)、お金はなかったが、友達にはとても恵まれてきた。
出逢って30年近くにもなる友人や、まだ交際は浅いがしょっちゅう我が家へ出入りする友人、一度しか会っていなけれど、メールやSNSで毎日のように言葉を交わす友人。
本当に、一緒にいて気持ちのいい仲間達だ。
昨年の私が病に倒れて、「喜怒哀楽」が欠如してしまった時、わざわざ名古屋から奈良まで、見舞いに来てくれた友人がいる。このとき、慰めの言葉ではなく「罵声」を浴びせられた。
「あなたは仕事といって、過労で倒れて死にかけたけど、それは自己満足!残された家族の事を考えなさい、私はあんたなんかどうなってもいいけど、彼女(妻)の事が心配なのよ!」
こんな風に言われて、腹がたつどころか、なんてありがたいんだろうという、感情が蘇った。
今でも、自分を叱ってくれる友人がいるという事が、とても幸せに思えた。
過去、自分を叱ったり、道を正してくれた友人が多い。
そのせいが、自分もまたどんな人に会っても、「真剣」に向かい合い。
時に相手を傷つけてしまう事もあるけれど、決して人を憎んで言った事はない。
相手を思えば思うほど、「おためごし」の言葉や「がんばれ」などの同情の言葉はかけられない。
しかし、ネットワーク上のお付き合いは、とても難しい、相手のことを想い言ったつもりが伝わらず迷惑がられてしまったり、嫌われたり。
でも、たとえ憎まれ忌み嫌われても、口先だけのコミュニケーションをする事は自分にはできないし、その場しのぎの上辺の優しさなんてものも、持ち合わせていない。
ほとほと、コミュニケーションとは難しいものと、己の未熟さを自覚した。
結論
ただ、100人いれば100人の考え方があり、自分の接し方が、必ずしも「正しい」とは限らない、しかし自分が「正しい」という思いが無ければ行動はできない。
端からみれば、今の時代「大きな御世話」なのかもしれない・・・
しかし、私の事を叱ってくれる友人達の為にも、恥ずかしくないよう生きる事が私のアイデンティティ。
余談になるけれど、私にとって「心友」と呼べる人間がいる。
今ガン治療の為、日本では認可されていない療法の為オーストラリアで懸命に癌と闘い続けている、公にもされている事なので、あえて名前を記す、エミコ・シールさん(自転車冒険家)。
近所に住んでいた事もあり、家族同然の付き合いをしてきた。
彼女の友人、片山右京さんも、彼女のためにFacebookでエールを送ってくれた。
mont-bellもまた彼女の為の基金活動を行ってくれている。
http://www.montbell.jp/generalpage/index.php?general_id=59
自分が、多くの人出逢え、「友」とよべる人達に巡り会えた、これって「幸せ」なのだと思う。
と同時にたぶんこれからも、時に嫌われながらも、人と向かい合っていくだろう。
毎度のお約束みたいになったけれど、締めくくりは「気にさわったらゴメンなさい」。