コリコリ…… 第四十回 | 中川忠の小説です。

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中編小説を掲載しています。方針を変更して、毎日の連載にします。

 すると奥の控室のドアが開いて、そこに大桃さんが立っていた。精一はびっくりして、思わず「おお」と大きな声をあげてしまった。

 狭い店なので、大桃さんはあっという間に精一の真ん前に立った。そして「こんばんは」と当たり前な挨拶をしている。

 どうして大桃さんがこの店の、それもおばさんの側のカウンターの向こうにいるのかと、彼は考えを巡らせた。しかしどう考えても、そんなことは分かりようがない。彼女のことだから、何か彼にとって悪いことを企んでいるとしか考えられない。

 精一は、挨拶どころではない。ただ口をパクパクさせて、「なんで?……」と呟くように言っただけだった。

「なんでって、わたし、山上さんとは友達やねん。一緒のマンションに住んでて、前から交流あんねん」と大桃さんは言う。

 山上さんというのは、おばさんの苗字だ。

「盛岡さんがこの店に通って来てんのん、わたし、前から知っててんで」と続けて説明する。

 精一は、おばさんとは前から親しくさせてもらっている。その親しいおばさんと友達だったら、こちらとも親しくしてくれたらいいのに。どうして人をどん底に落とすような真似をしたんだ?

「わたし、盛岡さんが来てる時も、時々この店に顔出してたんやで。盛岡さんは気づいてへんやったやろうけど。盛岡さんのことも見てたんや。それで、わたし、盛岡さんのファンになってん」

「ファン?」

「そう、ファン。盛岡さん、なかなかのイケメンやし、おばさんに、あれ、誰? って訊ねてた。おばさんは盛岡さんの下の名前くらいしか知らんかったけど、わたしはある日偶然に知ったんや。わたしは西京病院のスタッフやから、クリニックに用事で行くことあるやろ? そこに盛岡さんがおった。ほんで何とかならんかなって思うて、おばさんとも色々相談してたんやけど、そんなあなたが、クリニックのスタッフの向井さんとお付き合いしてることを知って、思わずわたし、逆上してもうたんや。言うとくけど、今までわたし、男の人にフラれたことなんかないねん。そやから盛岡さんにも、わたし、フラれるわけないねん。まあ、そもそも告白せえへんかったらフラれることはないねんけど、それはそれで悔しいやんか。わたし、盛岡さんのこと、好きになってんから、ぜひわたしの彼氏にしてまいたい。ほんでもあなたは向井さんの彼氏になってもうた。それで向井さんにプレッシャーかけたんや。その頃わたし、向井さんとは親しくなかったから、何でもできたんや。

 ほんで結局みんなしてもうた。向井さんの気持ちなんか、簡単に踏みにじった。どうせわたしの彼氏になってくれへんねんやったら、滅茶滅茶にしたれって思うたんや。

 実際に二人の仲は滅茶滅茶になってもうた。その後、さすがのわたしも、ちょっと悪いことしたなあって思うて、向井さんに連絡した。ほんで何回か会うてみた。ほんだら向井さん、ほんまに元気ないんや。わたし、あんなにひどいことを彼女に言うたりしたのに、彼女はわたしを責めることなんかせえへんかった。ただひたすらあなたのことを考え続けてるみたいやった。そんな彼女を見てるうちに、わたし、彼女のこと、好きになってきて、今こうして盛岡さんの前に立ってるねん。わたし、向井さんのこと、今はもう好きやで。盛岡さん、あなたもまだ向井さんのこと、好きか?」

 精一は、しばらく大桃さんの顔を見つめて、彼女の真意を推し量ろうとした。この人はどうも信用できない。今のこの状況も何かの罠かも知れない。それですぐに答えなかったら、大桃さんが少し怒ったような顔をして、

「わたし訊いてんねん。あなた、向井さんのことがまだ好きかって。はよ、答ええや」と前かがみになって、迫ってきた。

 ここはしっかりしなければならないと思い、精一は席から半分ばかり立ち上がるようにして、大桃さんをじっと見据えて、

「好きです。ぼくは理栄のことが、永久に好きです。理栄以外の女の人の存在なんか、どうでもええくらいです」と言い切った。

「そうか。そうやねんて」と言いながら、大桃さんは背後を振り向いた。そして、

「出ておいでよ」と呼びかけた。

 また控室のドアが開いて、そこから向井理栄その人が登場したのだ。