コリコリ…… 第二十二回 | 中川忠の小説です。

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中編小説を掲載しています。方針を変更して、毎日の連載にします。

 その西京病院にあって、大桃さんという、四十手前の女性スタッフは、気の強いことで有名だった。

 だから後輩である理栄が、大桃さんに何かきついことを言われたとしても、それはよくあることなのだろう。しかし今の場合、それは普通のきついことではなさそうだった。普通のことならば、こんな時間にわざわざ精一に電話などしてこないだろうから。

「何を言われたん?」と取り敢えず訊いてみる。心の中ではある答えを予想しながら。

「わたしらのことやねん」

 予想通りだ。大桃さんに何か言われたことで、わざわざ彼のところに電話をかけてきたのだから、二人のことに決まっている。

「わたしら、三日くらい前、八尾で並んで歩いてたやろ? あれを誰かに見られたみたいやねん。それが大桃さんの耳に入って、えらい言われた」

「何を言われたん?」

「ひどいこと言われたで。あんた、精神障がい者と付き合って、恥ずかしないのんとか。あんたなんか人間と思われへんとか。ひどいやろう? セイちゃんみたいな人らに対する差別に溢れた言葉やと思えへん? セイちゃんかて、ちゃんとした人間やのに。親しく付き合ってみたら、とっても優しくていい人やのに、大桃さんは、そんなこと、全然考えてもくれへん。ただただわたしらのこと、非難するばっかりやねん」

 精一はただ、「うーん」と考え込むようにうなっただけだった。差別されているから悔しいとか、そんなこと考える以前の問題だった。とにかく理栄と付き合えなくなったら大変なことだから、ちゃんと話を聞こうという構えしかなかった。

 そこで、

「大桃さんは、ぼくらが付き合ったらあかんって言うてんのん?」と大事なポイントだけを訊ねた。

「要するに、そういうことやねん」理栄はいとも簡単に答えた。

「ほんで、リエちゃんはどう思うてるのん? 大桃さんに言われたから、ぼくと付き合うのん、やめようって思うてるのん?」

「そんなん、思うてるわけあれへんやんか。わたし、セイちゃんといつまでも仲良くしてたい」

「ぼくかって、そうや。リエちゃんと仲良くでけへんようになったら、死んだ方がましや」

「死ぬなんか、言わんといて。何やのん、あんた」理栄が不意に怒った声を出したので、精一はハッと気がついた。彼女の前で死についての言葉を吐くことは、極度のタブーなのだ。ちょっとした気の緩みから、禁忌にしていた言葉が思わず飛び出た。

 そこで精一は素直に「ごめん……」と謝った。

 理栄は何も言わない。

 精一は、

「リエちゃん、ごめんな。無神経なこと言うて。ぼくなんかあかんなあ」と言うと、理栄が、

「セイちゃんの何があかんのん? あかんから自殺すんのん? お兄ちゃんが事故死で亡くなって、その上セイちゃんに自殺されたら、わたしかって、どうやって生きていったらええんか分かれへん」と言って、不意にすすり泣きを始めた。

 理栄とお付き合いをして半年ほどになるが、彼女が泣いているのは一度も見たことはない。今だって、電話の向こうのことだから、見たわけではないのだが。

 精一はとても慌ててしまった。そして何度も何度も「ごめん」「ごめん」と繰り返した。

 しばらく泣いたあと、理栄はまた黙り込んでしまった。こんなに気弱に黙り込む理栄を見るのは初めてだ。もちろん、電話だから、見てはいないのだが。

 もう余計なことを言ってはいけないと、精一は自分に言い聞かせていた。それでなくても、兄の突然の事故死によって、心に深い傷を負っているはずなのだ。男の自分の方が、もっと気をつけてやらないといけない。

 しばらく待ったのち、理栄が泣いたあとの掠れた声で、

「ねえ、今から来て……」と言った。

「今から? どこに?」

「どこにって、わたしの家に決まってるやんか」

「ええ、そんなん、無理や。ぼく、親と一緒に住んでるんやで。親、もう、二人とも寝てもうたし、今から母親起こして、どっか行くなんか言われへん」

「そう。言われへんのん。言われへんかったら、言わんでもええわ。わたし、今まで、こんなこと、頼んだことある? 今日はどうしてもピンチやから頼んでるのに、セイちゃんの口から出たんは、お母さんのこと? そんなにお母さんが大事やったら、もう二度とここに来んでもええ」