コリコリ…… 第十六回 | 中川忠の小説です。

中川忠の小説です。

中編小説を掲載しています。方針を変更して、毎日の連載にします。

 すると理栄は、

「セイちゃんかって、わたしと絆結びたくて、ウズウズしてたんやろ?」と直球を投げてきた。

 そこまで女性に言わせて黙っているわけにはいかない。精一は、

「そう。ぼくもウズウズしてた」と正直に打ち明けた。

「そういう場合は、手続きなんか無視すんのん、当たり前やで。何しろわたしら、相思相愛やねんから」と言って、理栄は顔を精一の方に寄せてきた。キスをしようという態勢だ。

 その時になって、精一は初めて自分がさっきまで酒を飲んでいたことをまた思い出した。それで、

「ぼくの息、酒臭ない?」と訊ねてみたが、理栄は目をつむったまま、

「酒臭かってもええで。わたし、セイちゃんの酒臭いとこも好きやねんから。好きって、そういうことやろ? 小さいことは、気にせえへん、気にせえへん」と言って、彼女の方から積極的に唇を合わせた。

 絆の前のキスよりも、深く甘いキスになった。精一もすっかり慣れてしまったのだ。理栄に対する気後れなんか、すっかりなくなっていた。二人は甘い信頼の中に包まれていた。

「ご飯、食べたん?」と精一が理栄に訊ねた。

 理栄は、

「一応は食べてきたよ。腹が減っては戦はでけへんからね」と言ったので、精一は思わず噴き出してしまった。

「戦やねんな、これ?」と訊ねると、理栄は、

「純然たる戦やんか。わたしにとっては、大事な戦やで。セイちゃんは、戦と思うほどでもなかったん?」

「とんでもない。ぼくにしても、大事な戦やで。この戦で負けたら死んでもええっていうくらい、ぼく、気合入ってた」

「それで、お酒飲んで、盛り上げてたんやな?」

「そうやな。盛り上げてたんと、緊張を解くんと、両方の意味で酒飲んでん。悪かったかな?」

「悪いことあれへん。セイちゃんがお酒飲んでくれてたおかげで、こうやって、おかしなこともなく、ちゃんと絆が結べたんかも知れん。よかった、よかった」

「そうか。ほんだら、この戦、二人とも勝利をあげたんやな?」

「そう。二人とも勝利。負けたんは誰やろう?」

「負けた人なんかあれへん。ぼくらが絆を結べたことで、世界中が大喝采や」

「世界中が? えらい大きい話やなあ。それって、妄想入ってる?」

「入ってるかも知れん。世界中くらいやったら収まりがつかんかも知れん。宇宙中やな、ことによると」

「うーん、妄想入ってるな。ほんでもええねん。わたし、セイちゃんの妄想にかって、付き合うで」

「妄想になんか、付き合ったらあかんやんか。リエちゃんはデイケアのスタッフやねんから、なおさら気をつけなあかん」

「わたしの仕事はデイケアのスタッフやけど、セイちゃんの前では、一人の女でしかあれへんのや。一人の女として好きな男性に対する時、女はその男性に全てを合わせたいって思うねん。それって、悪いことかな?」

「もちろん、悪いことやあれへん。ほんでも、妄想にも付き合ういうんは、穏やかな話やあれへんと思うけど」

「付き合ういうたって、ほんとに文字通り付き合えるわけあれへんやん。ただ、もしセイちゃんに妄想があったとしても、わたしは恐れず慌てず、ゆっくりとセイちゃんの話を聞くでっていうこと」

「そういうことか」

「ところで、セイちゃん、なんか目立った妄想とかあんのん?」と理栄が訊くので、精一は少し顔を俯けて考えた。これは大事なことだ。もし彼に目立った妄想があるのなら、ここではっきり言っておかないといけない。目立った妄想というのは、きっと、迫田が力説していた渡辺美里のことみたいなもののことだろう。

 入院した当初は激しい妄想があった。というより、何もかもが妄想とつながっていった。末期的状態だったのだ。

 渡辺美里妄想どころではなかった。彼の全身全霊が妄想の塊りであったと言ってもいいくらいだった。

 それが、入院して三日目のある時、おでこにピンという音が鳴ったと思うと、彼の頭の中にあった妄想が全て消え去ってしまった。