心中なんか大嫌い 第四十二回 | 中川忠の小説です。

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中編小説を掲載しています。方針を変更して、毎日の連載にします。

 前もってああだこうだと考えても仕方がない。時間が流れて行くように彼も流れていくしかない。ただ一本の芯さえしっかり保っていればいい。彼は真央乃のことが好きで、他のあらゆるものを捨てたとしても、決して真央乃のことは裏切らないということ。

 そのように思い切って昼の業務に入った。静美は相変わらず愛想なく彼を見るばかりだ。十一も年上の宗近の方が困惑する。ちょっとでも艶っぽい目をして彼を見るようなことでもあれば、何だ、こいつ、と反発する気持ちが湧き上がってくるだろうが、そのように冷たい顔をされると、彼の決意が揺らいでしまう。

 その日は仕事が詰まっていて二時間の残業となった。宗近はそのことをとても喜んだ。このまま朝まで残業が続いたならば、静美も諦めるかも知れないという淡い期待を抱いた。

 仕事が一段落してトイレに行って、一度会社の建物を出て、なるべく遠い所まで走り、公衆電話にたどり着いて柴根家に電話をかけた。しかし向こうで応答したのは男の声だった。宗近はギクリとして受話器を降ろしてしまった。

 降ろした受話器を握ったままじっとしていると、背後からいきなり「いい人に電話をしていたの?」と呼びかけられた。振り向くと静美が眉間に皺を寄せて立っていた。

「あなたが逃げたんじゃないかと思って追いかけて来たの。逃げたりしたら許さないから。昨日言ったように、柴根さんのお父さんとお母さんに全てを打ち明けるから」

 同じことばかり言う。確かに打ち明けられては困るのだが、宗近と真央乃は駆け落ちをする覚悟でいる。その覚悟が出来ている今となってみれば、『打ち明ける』とオウムのように繰り返されても、さほど怖いとも思わない。

 怖いのは静美本人だ。冷木静美という人がそばにいるだけで怖い。たった十九歳で男にそう思わせるのだから、大物だとも言える。もっと年を取れば、本当に社会を動かすほどの大人物にならないとも限らない。

「どうして電話を切ってしまったの? わたしが来たこと分かった?」

「いや、分からなかった。びっくりしたよ」

「お父さんかお母さんが出たのね。それで慌てて電話を切った。堂々と名乗ればいいのに。それでお姉さんを呼び出せばよかったのに。声を聞いた途端に切るなんて、まるで中学生みたい。でもそういうところ、可愛いわね。宗近さんって、普通の大人みたいじゃないところがいいの」

「ぼくのこと、馬鹿に出来るから近づいたのか?」と宗近は訊ねる。

「馬鹿にしているわけじゃないわ。わたしみたいなプライドがパンパンに張りつめている女は、馬鹿にしている男には近づかないものよ。わたしはあなたがとてもいい人だから尊敬しているのよ」

「尊敬しているのに、一緒に心中してこの世から亡きものにしようというのか?」

「社会的な損失ね。そうならないように、わたしと付き合いましょう。そうすれば社会は円満だわ」と言って、静美は声を立てて笑った。

「きみも残業していたのか?」

「柴根さんのやっていた仕事もあるから、結構大変なのよ。臨時で新しい人を雇うって社長に言われたけれど、わたしが教えないといけないから、逆に手間がかかる」

 静美には友理乃が亡くなったことに対する感傷など、薬にしたくてもない。かえって邪魔者がいなくなってせいせいしたと思っているのかも知れない。ひどい女だ。

「宗近さんは、もう仕事終わったの?」

「大体終わった。後は片づけをすればいいだけだ」

「それならわたしも今から片づけをする。楽しみだわ、これから宗近さんといちゃいちゃすることが出来るなんて」微笑みながら何か考えている。宗近もそれにつられて不意に考えてしまった。静美といちゃいちゃする様子を。

 思わずじっと静美の顔を見つめてしまう。今こうして外で普通に向かい合っているだけでもドキドキするのに、どこかの部屋に入って裸で迫られたら、彼はイチコロだろう。

 会社に戻って、片づけを終えて外に出ると、ロビーの椅子に静美が座っていた。宗近が近づくと彼女は立ち上がり、彼を先導していった。どこへ行くにしても、彼はついて行くしかない。逃げたって何も解決しない。真央乃からは、静美について行って、もしどうしようもなかったら寝てもいいと許可を取っている。何事も流れのままだ、と宗近は心の中で言い聞かせた。