静美はおとなしく聞いていたが、口を半開きにして、本当に驚いているようだった。宗近の物語が終わると、静美はこう訊いた。
「成岡は、わたしより柴根さんのことが好きだと言ったの?」
「うん、言った」
「奥さんがいる前で?」
「そう。奥さんがいる前でそう言った」
「何てひどい男と関わったんだろう」と静美は大きな声を出して、長い髪を上から掴んでクシャクシャに揉みしだいた。近くにいる人たちが彼女を見やった。
宗近は真剣だったので、昨日のように人の目を気にすることはなかった。今はとにかく冷木静美を説得しないといけない。その一心だけだ。
「そんなひどい男なのに、あなたは土下座をしたのね?」と静美は訊ねた。宗近はこの際だから何もかも打ち明けたのだ。問題解決のためには、率直になるのが何よりもいい。
「うん、土下座をした。土下座をして柴根さんとお付き合いが出来るのなら、それくらいたやすいことだ」
「柴根さん、柴根さんって言うけれど、わたしと柴根さんを比べて、どう見てもわたしの方が勝ってるでしょう」と静美は目を細めて怪訝な顔をしている。
「そもそもそんな質問をすること自体、きみは柴根さんには勝っていないということだ。ちゃんとした女性は、人にそんなことを訊かないものだ」
「わたしが、顔のいいのを鼻にかけてるっていうこと? でも男の人は、顔のいい女性を好むものでしょう。少なくとも今までわたしの周りにいた男たちは、みんなわたしの美貌にまいったものだわ。宗近さんだって、わたしを抱きたいんでしょう、本当は?」と静美はいきなり際どいことを言った。
「きみがもっとものの分かるいい気性の女性だったら、お願いしたと思うけれど、今のきみには興味はない」
「ひ、ど、い、わあ。そんなひどいことを言うなんて」と静美は恨みを込めた眼差しで見た。自分が恨まれるのなら好都合だと宗近は考えていた。とにかく友理乃から攻撃の手を払いのけたかった。
「わたし死ぬわ」と静美は宣言した。
「それは駄目だ」
「一人で死ぬわけじゃないの。あなたと一緒に死ぬの。いわゆる心中ね。わたし、本気よ。わたしが死ぬ時には、あなたも道連れにしないと気がすまない」
「ぼくのことを恨んでくれ。いっぱい、いっぱい恨んでくれ。でもぼくはきみとは心中しない。ぼくはゆりのちゃんと幸せになりたいんだ」
「ゆりのちゃんだって」と言って、静美は乾いた声を出して笑った。
「ゆりのちゃんって呼んでるの。わたしも柴根さんのことをゆりのちゃんって呼んであげようかしら」
静美はそう言って、また髪の毛をクシャクシャに揉みしだき始めた。
「好きな女の子のことをどう呼ぼうとぼくの勝手だ。ぼくはゆりのちゃんが好きなんだ。馬鹿にしたければすればいい。それで気がすむのなら、むしろその方がいい」
「いいえ、わたしはそんなことでは気がすまないわ。わたしは宗近さんと心中するの。それを防ぐ方法はただ一つ、柴根さんと別れてわたしとお付き合いをすること、それだけよ」
低い声でそれだけのことを言うと、彼女は黙って宗近の顔をじっと見ていた。宗近もここが勝負とばかりに、彼女の顔を見つめ返していた。思い詰めた女は怖い。彼はもちろん心中なんかしたくはない。相手が静美でなくても嫌だ。死んでしまったら、友理乃と一緒にいることが出来なくなる。せっかく好きな人が出来たというのに、その幸福の最中に死にたくはない。