心中なんか大嫌い 第十四回 | 中川忠の小説です。

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中編小説を掲載しています。方針を変更して、毎日の連載にします。

「分かりました。行きます」と宗近は仕方なく承諾をした。

 それから仕事を再開したが、一向に捗らない。友理乃と話がしたいが、会社の業務中に私的な話をするわけにはいかない。それに彼の方が十一も年上なのだ。厄介なことがあったら、自分が防波堤になって好きな女性を守るべきなのだ。

 何回か友理乃と顔を合わすことがあったが、仕事に関した短い会話を交わすのみだった。彼女はニコリともしない。一方静美の方は、会うたびにニコニコと笑いかけてくる。迷惑だ。

 結局友理乃には何も伝えることなく、宗近はN駅に向かう電車の中にいた。

 N駅に着いて改札口に近づくと、昨日友理乃を見かけた白い壁によりかかるようにして、一人の痩せた神経質そうな男が立っていた。体を揺らしてはいないのだが、始終貧乏ゆすりをしているような感じの男だった。

 若い女性というのは、こういうやくざな男に惹かれるものだ。危険な匂いがするというやつだ。宗近には危険な匂いなど何一つなかったので、今まで全くもてなかった。

 改札口を抜けて、宗近は男の前に立った。そして「成岡さんですか?」と訊ねた。彼の方が明らかに年上なのに、自分から腰を低くした。そうでもしないといつまでも埒が明かない。こういうタイプの男は埒が明かなくても平気なのだ。金を使っている時と女を抱く時以外の全ての時間が、彼にとっては埒の明かない暇な時間なのだ。

「そうだよ、成岡だ。よく分かったな」と言って成岡はニヤリと笑った。澄ましていると結構ハンサムなのに、笑うと途端に下品になる。笑い方でその人の本質が分かると、どこかの本で読んだことがある。なるほどその言葉は当たっている。

 宗近は回れ右をしてそのまま帰りたかったが、そういうわけにはいかない。迫力負けしないように成岡にさらに迫るようにして、

「それで、何かご用なのですか?」と訊ねた。

「そうだよ、ご用があるんだ。ご用があるんだけど、こんな所でしゃべるのか? 上に俺の行きつけのバーがあるんだけど、そこに行かないか?」

「バーになんか行きません。第一、酒を飲むような気分じゃないんです」

「俺はそういう気分なんだ。やけ酒だな。何しろ俺の付き合ってた女を二人とも取られたんだから、やけ酒でも飲まないとやってられない」

「取ったことにしましょう。でもぼくが付き合っているのは友理乃さんだけで、静美さんとは付き合ってはいません」

「けれども試してはみるんだろ?」

「何を?」

「何をって、分かり切ってるじゃないか。わざわざ俺にそれを言わせるのかよ。面白い人だな、あんた」

 そう言うと成岡はくるりと身を翻してエスカレーターに飛び乗った。今の時間はエスカレーターにはあまり人はいない。宗近も仕方なくエスカレーターに乗った。成岡より十メートルほども後に続いた。

 成岡は振り向くことなくスタスタと地下道を歩いていく。どんどん人通りの少なくなっていく場所に入って行って、ある所で急に階段を昇り、地上に出た。見失ってはまずいと思って宗近は慌てて彼の後を追って昇った。昇り切った所に成岡は立っていた。

「すぐそこだよ。ほら、黄色い看板があるだろう、『花ざかり』って。この店だ」と成岡はすぐそばにある黄色い看板を指さした。確かに『花ざかり』と書いてある。

 危険な相手の本拠地に単独で入るような気がして嫌だった。嫌というより、正直言って怖かった。店に入ったが最後、死体になるまで出て来られないかも知れない。

 成岡はスタスタ歩き出したが、宗近は止まったままだった。相手がついて来ないのに気づき成岡は立ち止まり、「どうした?」と大きな声を出した。

 宗近はただ首を振っただけだった。成岡が戻って来て、またあの嫌らしい笑みを浮かべた。

「怖くないって。女一人でやっている店だから。優しい人だよ」

「女一人?」と訊き返したが、やはり警戒心は解けない。女だって色々いる。友理乃のような女性がいるかと思えば、静美のような女もいる。

「俺の奥さんさ」と成岡はあっけらかんと言ってのけた。