I am a book 第二十三回 | 中川忠の小説です。

中川忠の小説です。

中編小説を掲載しています。方針を変更して、毎日の連載にします。

 僕は起き上がって高級官僚の方を向いて『それなら肩車をしましょう』と呼びかけた。高級官僚の言いぐさがあまりにも子供じみていたので、ここは言う通りにしてやって、あとはさらばといきたかったのだ。

『うん』と高級官僚は威厳と気品を精一杯漲らせて返事をしたつもりだろうが、僕にしたらトイレでうんちを気張っている幼稚園児くらいにしか見えなかった。

 威厳と気品の高級官僚を僕は肩車した。長生きするためにきちんとダイエットをしていたのか、結構な年輩なのに、若い者のような体つきをしている。だから軽い。肩車をする分にはちょうどいいが、威厳と気品の面ではどうだろうか。単に若い男の子が衰弱したようにしか感じられず、威厳と気品なんか毛ほどもない。

『おい、もっと高くならないのか』と上でわめいている。

『はあ、僕にも身長というものがありまして、高さには限りがあります』

『同じように壁があるだけじゃないか。こんなんじゃ、何の役にも立たない。何の役にも立たないという言葉は、税金泥棒と同じことだからな。お前だってそんなこと言われるのは嫌だろう』

『僕は高級官僚ではありませんから、別に嫌でもありません』

『高級官僚でないとは、なんと可哀相なことか。人生、生れた限りは高級官僚になっておくに限る。楽しいぞ、高級官僚は』

『さぞかし楽しいでしょうね』と僕が言うが早いか、上から『わあー』という叫び声が聞こえた。高級官僚がしきりに『手だ、手だ』と叫んでいる。

『手がどうかしましたか?』

『巨大な手だ……』とまで言って、不意に肩の上が軽くなって、声も聞こえなくなった。

 高級官僚はきれいにいなくなっていた。

 僕はアラブ人に『どうしたのだろう?』と訊ねた。

『急に上に飛んだかと思ったら、消えてしまいました。不思議なものを見させていただきました。けれどもここは死んだ後の世界ですから、不思議なものくらい、これからいくつもあるでしょう。高級官僚とかアラブ人とか言っている場合じゃありません。とにかく一つ一つ課題を解決して、生きていかなければなりません。そうでしょう?』

 前向きなアラブ人の言葉に僕は思わず『はい』と返事をした。高級官僚よりアラブ人の方がよほど威厳と気品がある」

 そこまで来ると、巌は急に話をやめてコーヒーを口につけた。

「それで終わりなの?」と百合さんが訊ねた。

「終わりにしても構わないのですが、終わりではありません。ただもうすぐ終わりだということは言っておきます」

「変わってるでしょう?」と吟美が百合さんに声をかけた。

「変わってるわ」

「それで、どう、出来は?」

「出来って?」

「いいか悪いかよ」

「いいか悪いかなんて分からないわ。そんなの分かったら、わたし自身がいいものを書いて、既に有名になっているわ」

「それもそうね。でも感想くらいあるでしょう」

「感想ね。あるわ。手って出て来るけど、そんな大きな手、舞台でどうやって出すの?」と百合さんは巌に訊ねた。

「手は出しません。だって手だと言ったのは高級官僚だけなんですから、現実にあったという確証はありません」

「高級官僚の妄想ってわけ?」

「あの世も妄想だらけですし、この世だって妄想だらけですからね」

「それがテーマね」

「テーマっていうほどたいそうなものではないですが、まあそうですね」

「でもあなたって、さすが舞台俳優だけあって、そうやって一人で語ってもうまいのね。まるでラジオドラマでも聴いているような気分になっちゃった」

 吟美は百合のその言葉に微笑みながら、「そうでしょう、そうでしょう」と喜んだ。

「話をするのがうまいのよ、この人。でも本とかのあらすじを語らせたらうまいけど、普段の会話は下手なの。不思議でしょう?」

「本は、たとえ本当のことが書かれてあるとしても、僕が書いたわけではないから架空のものだととらえられるのです。だから語れるんです。自分が書いたものでも、こうした架空の物語なら語れます。でも、自分の現実の気持ちなんかはうまく語れません。それでよく人とトラブルになります」と巌はしんみりとした口調になっていった。