東京都世田谷区にある池尻稲荷神社を参拝しました。

 

東急田園都市線の池尻大橋駅の近くに神社があります。

 

池尻大橋駅は渋谷駅から1駅目となります。

 

神社の東側には目黒天空庭園があり、この地下が大きな渦を巻いた首都高速の大橋JCT(ジャンクション)があります。

 

目黒天空庭園を横から見ると不思議な建物に見えます。

 

この目黒天空庭園の西側に目黒川が流れています。

 

目黒天空庭園から池尻稲荷神社へ東山貝塚公園がありました。

 

古代、この辺りは海だったということでしょうね。

住居跡もあったようです。

 

池尻稲荷神社の北側には国道246号線・玉川通り沿いが通っています。

ここは車の通りが激しい通りです。

 

江戸時代は神社の南側に大山街道が通っています。

玉川通りの交通量と比較すると断然車の通行は少ないです。

 

今では旧大山道と呼ばれています。

「大山」とは神奈川県にある大山阿夫利神社がある場所です。

 

大山街道は赤坂御門から大山間を通る街道です。

今では国道246号線がメイン通りとなっているので、大山街道は使われないようなったのでしょう。

 

旧大山街道側の鳥居から境内に入りました。

 

鳥居の手前には、かごめかごめの銅像があります。

 

この境内には、涸れずの井戸があります。

江戸時代初期は水不足だった江戸でしたが、貴重な水が湧く井戸があったのでしょう。

 

鳥居に一礼して境内に入ります。

旧大山街道側の鳥居は、なぜか南東の方角にあります。

 

大山街道に接していたためと思いますが不思議な方角に鳥居があると思いました。

 

参道を進むと三叉路になっています。

左側の参道が清姫稲荷神社、右側が池尻稲荷神社本殿。

 

ちなみにこの神社を参拝した理由は、この神社の神職の方がお友達なので様子を見に来ました。

 

本殿の右側には社務所兼賃貸マンションがあります。

 

1階が社務所で、2階から上が賃貸マンションです。

 

実は、この神職および父親は、学校の先生でした。

 

つまり学校の先生を務めながら、神職をしていました。

 

神職で忙しいのは、参拝客が多いお正月だけ。

 

年間を通して神職だけでは生業にならなかったそうです。

 

なんとか神社を地域のために活用して発展できないかと考えました。

 

そこで老朽化した社務所を壊して、社務所兼賃貸マンションを建てました。

不動産経営を始めることで、神職一本で生業を立てることができるようになったとの事です。

 

神職の方は生業を立てるのに大変なんだと考えさせられました。

 

京都の下賀茂神社のように神社の境内にマンションを建てて良いのか?

 

マンションを建てることによって神上がりされていないか?と考えました。

 

ところが、この神社ではウェルカムな風が吹くんですよ。

 

お稲荷様がいらっしゃるんだと考えました。

 

まずは本殿を参拝しました。

社殿は東南東向きです。

 

油揚げを奉納させていただきました。

 

お稲荷様が喜んでいるような風が吹きました。

 

拝殿前で祝詞を奏上しました。

 

稲荷神社と書かれている木の札は古そうです。

 

江戸時代から引き継がれているのかと考えました。

 

拝殿の裏は、このような感じです。

 

この神社について解明したい事がありました。

 

神社はなぜ東南東の方角を向いているのか?

 
東南東の方角の先には品川があります。
 
社殿に向かって「お稲荷様は品川の方角から来られたのですか?」と問うと、風がボワーッと吹きました。
京都の伏見稲荷から勧請した神社ですが、船に乗って来られたのかと考えました。
 
祝詞を奏上した際は御神木が反応をされているようでした。
 
この御神木がすごく気になりましたし、返事をいただいているように感じました。
 
拝殿の左側には清姫稲荷神社があります。
清姫と言えば「安珍・清姫伝説」を思い出します。
 
この伝説は和歌山県の道成寺(どうじょうじ)が舞台となっています。
 
日光東照宮にある邪神・徳川家康の墓が釣鐘になっている話を思い出します。
 
でも、清姫稲荷神社は、その清姫とは関係無さそうです。
 
井戸に蛇でもいたので、無理矢理、清姫と結びつけたのではないかと考えました。
 
清姫稲荷神社の写真を見ていたら、黄色い丸の部分が気になりました。
 
拡大すると、御狐様のように見えます。
 
池尻稲荷神社は国道246号線・玉川通り側にも入り口があります。
 
 
おそらく、国道246号線・玉川通り側の鳥居は後から造られたのではないかと考えました。
 
こちらの鳥居から入ると、手水舎があります。
 
手水舎の後ろには昇格記念碑があります。
昭和9年に無格社から村社に昇格した記念碑なんだとか。
 
ということは、無格社だった時代は、小さな稲荷神社だったのかと想像しました。
 
由緒を確認すると、江戸時代には京都の伏見から勧請した事が書かれていました。
三軒茶屋の由来も記載がありました。
 
手水舎前に摂社がありました。
 
御神輿が入っている倉
 
こちらは絵馬を結ぶ場所
 
このような感じでした。
 
2024年5月28日には、この池尻稲荷神社の神職の方と一緒に高尾山に登る予定なので、この話をしようと思います。
【おまけ】
これは高尾山薬王院の烏天狗の面の写真ですが、顔の上部が白っぽい影が映っています。
 
左側がダキニ天様、右側にキツネ様が写っているのではないか!?と思いました。
ウカノミタマ様系のお稲荷様とダキニ天様系のお稲荷様の話が混ざってしまいました。