哲学の日 | 10月の蝉

10月の蝉

取り残されても、どこにも届かなくても、最後まで蝉らしく鳴き続けよう

 

生まれるって、いいことなのか?

生き続けてこられたことはめでたいことなのか?

大前提として、生まれる生きるはよいことだという認識がある、

でもそれってほんとなの?

生まれちゃったから生きてるだけ。

死なないから生きてる。

で、生きてるから、充実させるか、って思う。なんかしなきゃもてあます。

やりたいことがあるから死にたくない死ねないって思うのは本末転倒なのかもしれない。

 

子供の頃から、生まれてきてよかったと思ったことがない。産んでくれて、この世に存在させてくれて嬉しいありがとうと思ったことがない。

誕生日は嬉しくない。

誕生日は、自分がこの世に出現してしまった事実を思い出させる。ふだんはなるべく考えないようにしてるのに、心優しい人から無邪気に「誕生日おめでとう」と言われるたびに、いちいち考えてしまう。

なにがめでたいのだろう。なにがおめでとうなのだろうと。

私自身が自分の存在を喜べないのに、誕生日が嬉しいわけがない。

 

なぜ私はそんなふうに感じてしまうのだろう。たぶん思考のベースがそうなっているのだ。

最近になって、「自分を受け入れる認める」ということをやるようになった。

ものすごく難しくて、まだ頭での理解の段階にとどまっている。理屈は分かるが感覚的に受け入れがたい、という感じ。

誕生日ってなにがめでたいの?

 

とはいえ、私も自分以外の人の誕生日にはちゃんとお祝いを言う。

なぜなら、外に向けて「誕生日なんです」と言えるということは、生まれたこと、生きていることを肯定しているんだなと思うからだ。そういう人にとってこの世に誕生した日は記念すべきめでたい日として認識されることは想像に難くない。だからおめでとうという。

 

他者に向けて「生まれてきてくれてありがとう」と思うのは自己都合だよなと思う。「私が生きている世界にあなたがいてくれてよかった」ということで、「私」が存在していなかったらそんなことも考えないわけだから。

時には、自分の存在抜きに、相手の存在を寿ぐこともあるけどね。

 

ホントに、根底には「この世に生まれることはそんなにいいことなのか?」という思いが厳然とあるんだなと思う。

 

ところで。

今日は盂蘭盆会なのだが、これはもとはサンスクリット語のウランバーナからきているそうだ。

そして、ウランバーナとは「逆さ吊り」という言いなんだそうだ。激しい苦しみを受けている人を救うための供養なんだって。

それが日本に伝わってきて、もともとあった祖霊信仰と結びついてお盆の行事になったそうだ。

ふむふむ。

このあたりをググってて面白かったのは、浄土真宗の考え方を知ったとき。

浄土真宗ではなくなった人はすぐに極楽浄土へ往生するからお盆には帰ってこないと考えるそうだ。だからいわゆるお盆の法要とかやらない(別の形でやる)とか。

絶対他力による救いが教えだから、信心した時点で往生が約束されると。念仏も感謝の気持ちなのだそうだ。追善供養もしないし、死を穢れとして扱わない。

なるほど。いいなあこの考え方。死者の霊がどうとか言わないのね。もうすでに極楽へ行ってると考えるのはとても素敵。

そういえば、母方の実家ではお盆に送り火とかしてなかったな。子供のころには見たことがなかった。もしかして浄土真宗だったのかもしれない。そんなようなことをちらっと聞いたおぼえもある。

私は、宗教は人間が生きていくためにひねりだしたライフハックだと思っているので、自分が納得できる考え方をとればいいと思っている。生まれながらに一つの宗教にはめこんでしまうやり方はよろしくないと思ってる。子供には選択権がないから。

 

今年はまだ宣言は出てないけど、どうやら梅雨は終わってしまったらしい。

珍しく強烈な日差しが降り注ぐ暑い日になった。

熱中症にご用心。そのまま逝けるならいいけど、そうじゃないと予後が大変。