当てもなくさまよい歩く | 10月の蝉

10月の蝉

取り残されても、どこにも届かなくても、最後まで蝉らしく鳴き続けよう

散歩にゴー、とは語呂合わせにもほどがあるね(笑)

 

私の母はよく散歩をしているらしい。時間を決めて自宅周辺を歩くことを何年も続けているんだとか。病気をして一時は危ない状態にもなったけど、復活してまた散歩を再開したらしい。(伝聞なのは人づてだから) 歩くというのはとても大切な動作なんだなと思い知らされる。

 

かくいう私は、散歩が苦手だ。

「目的地まで歩く」ならできる。東京へ芝居を観に行くときなんかは、それしか移動手段がないということもあるけど、ひたすら歩く。知らない街をうろつくのはけっこう楽しいからだ。

都会は情報がたくさんあるから、キョロキョロしながら歩くだけでも楽しい。しかしそれも目的地(劇場)があってのこと。行先なしの歩行はできないのだ。

 

何年か前、ちょっとした危機感からウォーキングをしていた時期がある。

体重増加防止とか筋力維持とか、まあそういう目的で。

家から片道30分というルートをいくつか設定した。そうすれば往復で1時間のウォーキングになる。

各ルート、1回目はよかった。物珍しかったから。しかし2回目からは苦行に変わった。

歩くルートは、住宅地を縫うコースだったり、田圃の間を歩くコースだったり。住んでいるところが田舎なのでそういうところしかない。これがめっちゃ退屈だったのだ。

筋力維持のため、と思って、歩く動作に意識を集中しようと思ってはいたが、そのための30分が果てしなく長かった。歩き始めて10分で帰るときのことを考えていた。

「ぐるっとその辺を一回り」というのがいやだった。時間が読めないから。別になんの縛りもないんだから、好きなだけうろつけばいいようなものなのだが、「当てもなく歩き回ること」そのものが無意味に思えてきて、時間がもったいないと思ってしまうのだ。

「こうやって歩いている間に、家にいたら本が読める」なんて思ってしまう。

季節ごとに変わる風景を楽しもうとしてはいたけど、冬は全然楽しくなかったなあ。まず寒いだけで外に出たくなくなる。

そうこうしているうちに、なんとなくやめてしまったのだった。

 

ウォーキング、ランニング、筋トレ。どれも私にとっては苦行である。歩くために歩く。走るために走る。鍛えるために鍛える。そこに楽しさを見出すことができない。

そして、散歩というのはそもそも、目的を定めずにぶらつくことを指すのだから、はなから私にできることではないのだ。

寄り道、くらいはできるかなあ。よその街(東京とか大阪とか名古屋とか)に観劇に出かけた際に、時間をつぶすために周辺をぶらつく、というくらいならできる。そういうときの寄り道は楽しい。こういうのも散歩っていうのかなあ。

 

あこがれてはいる。

「あてもなくさまよい歩いた」って言ってみたい。やってみたい。

でもきっとできないだろうなあ。

 

 

 

 

散歩は朝派?夜派?

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