今日の月は上弦の月~「燦々」振り返り~ | 10月の蝉

10月の蝉

取り残されても、どこにも届かなくても、最後まで蝉らしく鳴き続けよう

昨日の夕方空を見上げたら、てっぺんの高いところにきれいな半月が見えました。

周囲を雲が縁取っていて、一幅の絵のようでした。

 

公演が終わって一日過ぎ、少しずつ気持ちが落ち着いてきました。

今回の脚本はいろいろ考察できる部分が多く、また親子の愛についても考えてしまう部分が多々あったため、終わってからもついあれこれ思いを巡らせてしまっていました。

「燦々」は、とある施設で暮らす晴子の元を訪れた女性とのやりとりで構成されているお話です。脚本家の意図として、前半は観客をミスリードするために、訪問客はあえて怪しげな雰囲気を出していました。もしかしたら詐欺師なのか?みたいな雰囲気を出してほしいという演出の要望もあって、正体不明な感じで登場します。

対する晴子さんはもうひたすら陽気で、無邪気にはしゃいでいます。久しぶりのお客さんだといい、自室を得意げに案内したりします。

前半で発せられる違和感のひとつに、訪問客の女性が提供されたお茶菓子にすぐに手をつけるというシーンがあります。お茶菓子自体も駄菓子で、晴子さんはそれに対して文句を言ったりするのですが、女性は意に介せずに食べ始めます。このお菓子、「さくらんぼ餅」という駄菓子を使用したのですが、小さなタブレット状のお餅がいくつか入っているお菓子なので、女性はそのうちのひとつを口に入れるのです。「おいしいですよね」と言いながらその実お茶ですぐに流し込んでいる。さらには、食べかけのさくらんぼ餅に晴子さんが手を伸ばします。それはまるで「子どもの食べかけを片付けようとする母親」のような振る舞いです。女性は奇異な目で晴子さんを見るんですが、それに気づいた晴子さんはごまかすように笑い、そのついでに意外な告白をすることになります。

直前で自分が好きなお菓子なのだと言っていたにもかかわらず、実はもともとは好きではなかったといい、自分の子どもの好物だった、と言い出すのです。

このあたりは、お菓子を片付けようとした自分の行動をきっかけに、過去の記憶の扉が開いたのだという解釈で演じました。

そこから晴子さんの過去語りが始まります。

なんかねえ、不思議な人だったんですよ、晴子さんは。

親の言うとおりに素直に生きてきた人だったのに、歌手になるという夢が諦めきれず、ついには場末のスナックでバイトしながら歌いはじめます。このあたりの選択はどうなんだろうなあと思いつつも、ある意味現実的な展開なのかもしれないとも思いました。親の言うとおりに大学も出て就職もしてしまったとしたら、そこから歌手になるための思い切った行動を取る(都会に出るとか、養成所へ入るとか)のは難しかったでしょうし、たぶん晴子さんにもそこまでの覚悟は無かったのではないかと思うのです。

そして、場末のスナックで知り合った(自称)起業家の男とつきあいはじめます。これがねえ、どうにも「騙されてる感」満載なんですよ。起業家と付き合っていることが発覚し、かつ妊娠もわかってしまった。晴子さんはここで男についていくことを選択します。男からの受け売りであろう人生観を母親にぶつけ、当然理解されないまま家を出てしまいます。

晴子さんの中では、そのお店を回していたのは自分一人、子育ても家事も全部自分一人でやっていて(つまりワンオペ)、夫は何もしてくれなかったことになっています。ちょっとモラハラ気味の夫だったのかもしれません。晴子さんの体調不良の時も何もしてくれなかったようです。

そういうのってずっと恨みが残りますよね。こっちは体調不良で苦しんでいるのに「俺の飯はどうするんだ」って言われたらたぶん一生恨みます。

晴子さんは、「いいこちゃん」で育ってきたせいもあってか、あんまり要領の良い人ではなかったのかもしれません。人知れず劣等感にも悩まされていたようです。子育ても家事も仕事もうまくできない、と思っていた。あげくに「自分は母親に向いてない。なるべきじゃなかった」という思いにとらわれるようになります。このへん、あるあるすぎて胸が痛いんですよね。

そしてお定まりの夫の不倫。手近なところで店の女の子に手を出したようでした。

昨今はこういった不倫に対してもかなり厳しい目が向けられるようになりましたよね。ただ黙って女が我慢する時代ではなくなってきているような気もします。でも晴子さんは怒らなかった。

むしろほっとしてしまったんですね。その不倫相手のほうがずっと母親に向いてるじゃないかと思ったようなのです。このあたりはどのくらい本気で思っていたのかわからないところですけどね。演じていても、100%本気で「私より彼女のほうがいいのだ」と思っていたとは思えないけど、それでも70%くらいはそう思っていたんじゃないか、と思ったりしていました。すごく複雑な心境なんですよね。でも、もう不倫相手に託してでもその場から逃げ出したい、それくらい自分は母親失格なのだと思い込んでいたのだと思います。

ともあれ、晴子さんは子ども(娘の小奈津)を置いて家を出ました。

その後、今の施設に来るまでに何があったのかは脚本には描かれていませんが、今はこの施設で穏やかに暮らしています。

 

ここまでを、晴子さんの独り語りと、女性との掛け合いで見せていきます。

私は心の思うままに時代を行き来して、娘時代の自分に戻ったり、子育てしている時代に戻ったり、今の自分に戻ったりします。相手役の凪々実さんはそれに合わせて、晴子さんの母親になったり、娘になったりと大忙しでした。

そうしてやっと独り語りが終わって現在の時間に戻ったときに、女性がひとつの問いを発します。「置いてきた娘に会いたいと思うか?」と。

晴子さんは最初は意地を張っていますが、やがて本音をこぼします。今さらだけど会いたいと。

置いてきてしまったという罪の意識が「愛してあげられなかった」という嘆きになるのですが、どうもそこには甘い自己憐憫の気配が漂うんですね。だって、結局置いてきちゃったんじゃん、と私は思ってしまうので。

その女性もたぶん、それを感じたんでしょう。いきなり感情をあらわにし始めます。

ここ、芝居のピークだったんですよね。それまでは正体不明の存在でいた女性がついにベールを脱ぐわけです。観客にはわりと早い段階でわかっていたかもしれませんが、この女性こそが晴子さんが置いてきた娘、小奈津なのです。でも、晴子さんは認知症を患っていて記憶が曖昧になっているため、もう何度も訪問してきているであろう小奈津を娘だと認識することができないでいます。裏設定では、小奈津が晴子さんをこの施設に入所させたということになっていました。

晴子さんは夫と別れたあと、なんやかんやあって結局独り身になっており、それを見つけた小奈津が晴子さんを入所させたのです。

何度も訪問してきているけど、娘のことについて話し出したのは今回が初めてだったのでしょう。晴子さんの自己弁護とも言える告白を聞きながら、ついに感情が爆発してしまいます。

「素直に娘を愛していたと言えばいいじゃないか」と。

凪々実さんは「これが初めての親子げんかだ」と言っていました。実際には喧嘩にすらなっていなかった(前半の、晴子と母親とのやりとりの反転の構図)のですが、それでも初めて自分の気持ちをストレートにぶつけることができたシーンだったのです。

悲しいことにこの瞬間にはもう晴子さんは記憶が曖昧になっています。「……え」と振り返った瞬間に切り替わっちゃったんですね。だから晴子さんの目には、見知らぬ女性がなぜか激高して泣いているというふうにしか見えなかったのです。

ここは何度やっても、本当に「見知らぬ人」に見えました。それまで脳裏の中にいた小奈津と、目の前で怒って泣いている女性が結びつかない。そもそも小奈津だと認識していなかったので無理もないのですがね。なぜか必死になって訴えてきてるし、時々私の名前(晴子)を呼んだりする。いったい何を言ってるんだろう、と途方に暮れながら凪々実さんを見つめていました。

 

このシーンは、「人の気持ちのすれ違い」とか「親と子のすれ違い」をとてもはっきり表現しているなあと思っています。どんなに一生懸命訴えても、どんなに強く思っても、それがそのまま相手に伝わるとは限らない。また、自分が思っている愛が、相手にとって欲しい愛だとも限らない。人はすれ違い、それでもいくばくかの優しさをたずさえて相手と関わっていくしかない。

親だから、子だから、という縛りは、時として不幸を招くものだとさえ思いました。

晴子さんは、本当は現実にうんざりしていたんじゃないか。男の口車に乗って家を捨てて出てきたものの、店の経営はうまくいかないし、夫は何もしてくれないし、それどころか店の女の子に手を出したりする。あろうことか、娘もその子になついていたりする。もういやだ、もう全部やめたい。それが本音だったんじゃないかなあ。でもそんな本音をむき出しにするわけにもいかないから、自分は母親に向いてないのだ、とか、不倫相手の方が仕事ができるし娘もなついているとか言い訳して逃げ出したんじゃなかろうか。そういう一面は確かにあったと思うんですよね。

その反面、投げ出さずに残っていたらよかったのか、というと、そうとも言い切れないわけで。

「愛」って一言で言いますが、何を持って「愛」というんでしょうね。

「会いたい」と思うことが「愛」なのかなあ。

でもね。晴子さんはもういろんなことを忘れちゃってるんですよ。たまたまこの時は「会いたい」という気持ちが出てきたけど。実際に会ってもわかんなくなってるわけで。

そこが切ないお芝居だったと思います。晴子さんだけは幸せそう。

このお話の真の主役は、小奈津なのです。彼女が母親を許せるようになるお話。

だから演じた凪々実さんはとても大変そうでした。負荷の強い役だったので、毎回ヘトヘトになってました。私ばっかり能天気で申し訳ないくらい。

でも、私自身の母も、もしかしたらこんな認識なのかもしれないとも思いました。向こうは向こうなりに私のことを考えているけど、それがうまく表出できてない、とか。

そうだったらいいのになという希望的観測ですけどね。