冬の底 | 10月の蝉

10月の蝉

取り残されても、どこにも届かなくても、最後まで蝉らしく鳴き続けよう

晴れていても風が冷たい。日差しもガラスの槍のようで、キラキラ光ってきれいだけど痛い。

冬だなあと思う。

 

なんだか世の中、何をやってもダメと言われているような気がする。

 

子どもがいるかいないか、がなぜか言い争いの種になっていたりする。

いる人にはいる人の、いない人にはいない人の、それぞれ言い分があって、SNSでバトルを繰り広げていたりする。

人はそれぞれ自分の生を生きることしかできないのに、他人の生き方についてあれこれ指図をしたり非難をしたり。不毛だよなあと思う。

とはいえ、こんなことは私が日がな一日Twitterに張り付いてリロードを繰り返しているせいで、勝手に思い込んでいるだけのことなのだろう。

まるで昔、とりあえずテレビをつけていたときのように、とりあえずTwitterを開いてしまうから、見なくてもいいものを見てしまって、知らなくてもいいことを知ってしまって、勝手にうんざりしているだけなのだ。

わかってるのに。わかってるのにまた開いてしまう。ばかだね。

 

私は人の意見に左右されやすいところがあって、ある人が「これはだめだ」と言っていると「そうかだめなのか」と思ってしまうし、「これが正しい」と言っていると「そうか正しいのか」と思ってしまう。

さっき見た例だと、「リサイクルするためのプラゴミは小さく折りたたまないほうがいい」と書かれていて、私はゴミ袋がかさばらないように小さく折りたたんだり切ったりしているのでぎょっとしてしまった。

飲食店で食事のあとに食器を重ねてまとめないで、と書かれているのを見ると、自分がいつもそうしてしまっているのでぎょっとしてしまう。あれはしてはいけないことだったのか?と不安になる。

「あれは実は迷惑な行為なのだ」とか「こういう客は困る」みたいなことを聞くと、いっそのこともうそこには行かないようにしようと思ったりする。

そんなこんなが重なるとすべてがいやになって、どこにも行くまい、何もするまいと極端な思考に走ってしまう。

とかいいつつも、喫茶店に長居してしまうし、ご飯も食べに行ったりしてしまうんだけど。

なんというか、接客業の人の本音みたいなものに触れると、怖くてたまらなくなる。そうかみんなそんなに迷惑だと思っているのか、と。だったらせめて私一人でもそういう思いをさせないように、行かない・利用しないようにしたほうがいいよな、なんて思う。

観光地の人が「たくさんお客さんに来て欲しい」と言っていても、実際にはそれほど来て欲しくないと思ってるんじゃないか、とか、お店の経営者の立場の人が客に来て欲しいと言っていても現場の人はそうは思ってないことのほうが多いんじゃないか、とか、そんなことばかり思う。

ちょっと被害妄想の域に達しているのかもしれないが。

たいてい、上層部と現場の感覚は食い違っていることが多いし、人はそれほどホスピタリティにあふれているわけじゃない。だからこそ、「患者のことを考えている医者」とか「生徒のことを考えている教師」とか「客のことを考えている販売員」がことさらピックアップされて賞賛されるんじゃないだろうか。

しかしこれも当たり前のことなのかもしれない。人はそれほど素晴らしいものじゃないし。

 

考えてもどうにもならないことばかりグルグルと考えてしまうのは、冬の底にいるからだ。

寒くて縮こまっているから、やくたいもないことをだらだらと考え続けてしまうのだろう。