脚本の書き方 | 10月の蝉

10月の蝉

取り残されても、どこにも届かなくても、最後まで蝉らしく鳴き続けよう

昨日の「あつまれ!脚本の会」に参加して、改めて脚本の書き方について考えた。

 

私はどうやって脚本を書いているんだろうか。

 

今年4月に上演した「夜明けまで踊ろう」は、まずテーマが先にあった。

「出会い」というテーマ。30分くらいの芝居にするという制限があった。

こういうときはまず、「出会い」に関するあらゆるワードや思いつきをネタ帳に書いていく。

どういう出会いなのか。誰と誰が出会うのか。どこで出会うのか。そもそも出会いとはなんなのか。「出会い」という言葉から連想するものをとにかく書き出していく。

「夜明けまで踊ろう」の場合は、先にタイトルが決まっていた。Twitterで見かけたのだ、このセンテンスを。なんかいいなあと思い、これをタイトルにしようと思った。

踊る、というワードからミュージカルを連想した。ミュージカルと出会い、の組み合わせから、自分の体験を引っ張り出し、オーディション会場で出会う話にしようと思った。

そこからは試行錯誤の連続。キャラクターはわりと早くに決まったのだが、出会いのパターンがなかなか決まらなかった。一番最初に思いついたパターンがどうしてもうまく進展しなかったため、設定を変えて何度も書き直した。ラストは決まっていたので、そこへ向けていかに自然に着地していくかを考えた。

私は「起承転結」で話を考えるので、どこから始めて、どういう展開になって、どういう山場があって決着するかを考える。

そういえば、このときはキャラクター設定がわりとすんなりできたおかげで、セリフや行動に困ることは少なかったなあ。名前を最初に決めたのもよかった。

 

プロットを立てる、という認識がたぶん薄いのだと思う。いまだによくわかっていない。

結果的にプロットを立てていることになっているのかもしれないのだが、書いている最中はわかってない気がする。

シナリオの場合は「箱書き」と呼ぶらしいんだが、カード一枚につきひとつのプロットを書いて、それを組み合わせることで全体の構成を考えるといいらしい。このやり方に憧れてるんだが、できたためしがない。どうも、先に決めてしまうと自分の中で飽きてしまう傾向があるっぽい。それじゃいけないと思うんだけど、なーんかつまらん、と思ってしまう感情には勝てないのである。

それよりは、だいたいの道筋を決めて、というか「とりあえずこっちの道を進んでみよう」という感じで書き進めていくほうが楽しい。行き止まりになることもしばしばで、非常に効率の悪いやり方だし、死屍累々という感じで書きかけの脚本が蓄積されていってしまうのだけれど。

ただ私は、目に見える形でたたき台がないと頭が働かないらしい。明らかにだめなやつを読みながら「なぜだめなのか。どこがどうだめなのか」を検証していくほうが視界がすっきりするのである。人にはお勧めできない方法だよなあと思う。当然量産もできないし、時間もかかる。

それでも、何度か書き直すうちに行く手に「希望の光」が見えてきて、よしこっちだと思える瞬間に出会うととても嬉しい。そこまで行けば「終わり」は目の前である。

 

こういうのも慣れなんだろうなあと思う。何本か書くうちにちょっとずつ無駄な回り道が減っていく。

さて、また今年も脚本を書く時がやってきた。去年はたぶん11月ごろに着手していたと思うので、まだ時間の余裕はあるんだけど、ちょっとずつアイデアやネタを書き留めている。

来年の4月に上演予定の作品で、今回のテーマは「ひろう」だそうだ。

ひらがなであるところがミソ。「拾う」なのか、「疲労」なのか、「披露」なのか。

まずどれにするかを決めるところからだろうか。それとも、今回もどこかからタイトルが降ってくるだろうか。ちなみに今のところタイトルは未定である。キャストだけは決まってるけど、キャラクターは未定。ストーリーも未定。芝居の内容、方向性、雰囲気も未定。

今は全方向にアンテナを張り巡らせて、何かひっかかるものがないか探している段階である。

 

改めて「脚本の書き方」なんて言うのも恥ずかしいくらいに手探りな状態で書いているんだな。