つれづれなるままに~世の中は疲れることばかり | 10月の蝉

10月の蝉

取り残されても、どこにも届かなくても、最後まで蝉らしく鳴き続けよう

TwitterがXに変わってから、ほんとにしょーもない感じになってしまっている。

とぼやきつつ、相変わらず「とりあえずTwitterを開く」行動がやめられないわけだが。

これは私にとっては、かつて「とりあえずテレビつけてる」のと同じような感覚である。

テレビはもうほんとにどうしようもなくなって、見たい番組だけ見るようになって(それもかなり減った)うちのテレビはいつも真っ黒な画面なんだ。

で、テレビの代わりになんとなく「世間」に触れたくてTwitterを眺めているんだが、だんだんしんどくなってきてる。

せっかくフォローっていう機能があるのに、「フォロー中」のタブを開いてもなんか間引かれてて、フォローしてる人のツイートが流れてこない。

仕方なく「おすすめ」を眺めているんだけど、どういう理由なのか似たような内容のツイートばかりが流れてくる。あれは「いいね」となんか関係があるのかしらね。わからん。

今私のTLにたくさん流れてくるのは、例の炎上MVに関する話題と選択制夫婦別姓制度に関するツイート。それも、あまりに程度の低いツイートに対する反論みたいなのが多くて(引用してるから元のツイートも見えてしまう)、その程度の低さに心底がっかりしつづけている。

 

現状の民法では、婚姻時に夫か妻の姓のどちらかを選択しないと法的に婚姻ができないようになっている。絶対にどっちかにしないといけない、っていうのが問題なのに、「どちらか選べるからいいじゃないか」とか「嫌なら相手に改姓してもらえ」とか「法律婚しなければいいじゃないか(事実婚とやらを選べという)」とか、本質からずれた主張がいつまでたってもなくならない。

「なんで改姓が嫌なんだ?」という疑問に対して、たとえば手間がかかるとか、業績が途切れてしまうとか、アイデンティティーの問題だと回答しても、「私は手間じゃなかった」だの「その手間が愛情です」だのいう、これまたずれた返事しかかえってこない。

挙げ句の果てには、「日本の戸籍制度は何千年(何億とか言ってる人もいた)も続いている伝統である」とか、「別姓を許したら外国人に日本を乗っ取られる」とか、「戸籍制度が壊れてしまう」とか言い出す。

さらには、子供をだしにして文句を言う人もいる。子供がいじめられたら可哀想だとか、両親の姓が違ったら混乱するだとか。どれだけ「すでに日本国内には別姓の親子が存在する」と説明しても理解したがらない。

そういう人たちは、役所で婚姻届を出したことがないんだろうか。あるいは、自分の戸籍を見たことがないんだろうか。

子供の姓なんて、現状であっても婚姻時に決めている。夫の姓を選んだら夫の姓、妻の姓を選んだら妻の姓。そこに子供の意思や意見は入らないのだよ。その夫婦の元に生まれてくるのだから。

選択肢が増えて、「それぞれの生来姓を名乗る」ことになったとしても、子供の姓をどちらにするかは戸籍作成時に決めておくのだ。なんで子供が生まれるたびに「どっちの名字にする?」と相談するって思うんだろうか。

まあ、現実を見たくなくて、自分の頭の中にだけある「家族像」にしがみついてるだけなんだろうなとは思うんだけど、ほんと、よその夫婦がどんな名字を名乗ろうと大きなお世話だと思うんだがね。

親の介護はどうするんだ、というツイートを見たときはびっくりした。親の介護は実子の義務なんだから、名字がどうだろうと関係ないのに。それこそ結婚で改姓した娘が、名字の違う親の介護をすることなんてありふれた事例だろうに。

子供がどうとかいう人にとっての「子供」って、0歳からせいぜい小学生、中学生くらいまでを想定してるんだろうなと思う。だから「学校でいじめられたら」みたいなことを言うのだ。

 

共同親権に関しては光の速さで決められるのに、何十年経っても選択制夫婦別姓制度は導入されない。議論が足りないとか、意味がわからん。ろくに議論もしないで成立させてる法律なんて山ほどあるのに。

面白かったのは、「選択肢が増えると困る人が出てくる」という意見だった。とことん選びたくない、選ばせたくない人なんだなと。お仕着せで、今まで通りがいいんだ、と現状にしがみつきたい気持ちはわからなくもないけどさ。

困っている人がいても助けない、というのが日本ということなんだろうな。

だってすぐに人のこと「わがままだ」って非難するもんね。日本において「わがまま」とは存在が許されないくらいの大罪なのだと思う。

他人を「わがままだ」と非難する人は自分がわがままだと思っていないというのもいとをかし。

 

家族は同姓であるべき、と思う人は結婚に際して改姓すれば(あるいは改姓してもらえば)よかろう。ただしどっちが変えるかは、性別にかかわらずが条件だと思うけど。「女だから変えるべき」っていうのがそもそもおかしいわけだから。このあたりはまだまだ日本人の意識の中に家父長制が居座っているんだなあと思うことが多い。

「結婚して姓を変えたら○○家の一員」っていうときの○○家には、必ずその親兄弟親戚が含まれている。親戚づきあいとか介護を担えと(主に妻に対して)言うんだけど、相続ってことになったらあっさり部外者にされてしまう。だって法律では相続は血縁関係にしか発生しないから。

これ、嫁の立場で介護とかしてる人も勘違いしてることが多いみたいだけど、法律ってそういうものだからね。名乗ってる姓はあくまでも婚姻時に選択しただけのもので、血縁関係が発生するわけじゃない。配偶者の権利はあくまでもその配偶者に対するものだけだから、相手の血縁関係に発生した相続には関われないのだ。そのあたりが人情と合致しないからもめ事が起きるんだろうなあと思う。

 

私は生来姓が嫌いだったから、あっさり改姓した。

離婚したときは子供の姓を変えたくなくて婚氏続称したけど、結局再婚時に改姓したので子供も改姓させてしまった。その子は結婚で改姓したので、もはやまったく無関係な姓になってしまっている。

好きな姓ではなかったけど、改姓したことで何かを喪失したような気持ちにはなった。もはや今の名字なんて、ただの通称レベルだ。「はい、とりあえず今はこの名字を名乗ってますよ」みたいな。どうせ何度も変えた名字だし、今さらなんだっていいよ、という投げやりな気持ち。

アイデンティティーの喪失ってこういうことなのかもしれないなと思う。改姓を後悔してはいないけど、より根無し草感が強まった気がしてる。「生まれ育った土地」もないし、生まれ持った氏名もない。寄る辺なさはここから来てるのかもしれないな。