長いつきあい | 10月の蝉

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アンネ・フランクが日記をつけはじめたのが6月12日なんですね。
私が日記をつけはじめたのはいつだったかなあ。あまりにも遙か遠い日のことで、正確な日付は覚えていませんが、たぶん、小学4年生のの時に「日記を書く」ということをやったのがきっかけだったと思います。前後のいきさつや理由はまったく覚えてないのですが、数日間日記を書いて提出したおぼろげな記憶があるのです。
提出の義務がなくなってからも、なんとなく日記を書き続けていました。
当時は装幀の豪華な日記帳が売られていて、鍵がついていたり、ちょっとした書籍のような体裁の日記帳が流行っていたんですね。
今でも覚えているのは小学4年生のある日に書いた日記です。そこには母に怒られて傷ついている私がいました。「おかあさんなんか大嫌い」と書いたことをよく覚えています。(あー、そういえばあの日記帳ってどこへいっちゃったんだろうな。)
あのころから、日記帳は人には言えないことを書く場所でした。(まあ普通そうかw)
交換日記もしたことがあるんですが、これはなかなかに難しいものなんですよね。結果的に自然消滅になるんだけど、そこに至るまでがちょっとしんどい。
 
中学に入ってから、本格的に日記を書くようになりました。でもまだそのころは飛び飛びだった気がします。書いたり書かなかったり。でもそのことを気にしてはいませんでした。
転校してからかなあ。なんとなく「毎日書かなくてはいけない」という気持ちになり、ものすごく眠いときでも「すごく眠い」なんてミミズがのたくったような字で書いたりしてました。
 
大仰な日記帳から卒業して、大学ノートに書くようになったのですが、あるときから毎日持ち歩くようになりました。正確には、「学校へ行くときに全部の日記帳を鞄に入れて持って行く」です。なんか親に日記を盗み読みされたような気がしたんですね。それで学校に行ってる間が心配になってしまったのです。そのころはまだノートも数冊でしたから、鞄に入れてもたいしたことはありませんでした。もともと鞄はパンパンに詰めていくタイプだったので、ノートが増えたところで重いことには変わりはなかったのです。中学は自転車通学だったから余計に気にならなかったのかもしれません。
そのぶん、高校ではちょっと苦労しました。電車と徒歩(もしくはバス)での通学だったので、岩のように重い学生鞄はしっかり指に食い込み、3年間で指の関節はタコだらけになりました。
ノートもだんだん増えていきますしねえ。最後のころはたぶん10冊以上日記であるノートを鞄に入れて持ち運びしていたと思います。
日記に書くことも増えていきましたしねえ。あのころから私は自分の日記を読み返す癖がありまして、後日読む自分のために詳細な描写を心がけていました。書いてるときはリアルタイムだから詳しく説明しなくてもわかるのですが、半年、1年と時間が過ぎて読み返すと(あるいは数年後とか)前後の事情がわからなくなっていることがよくあったからです。
そういう意味では「読者を意識して書くこと」をずっとやってきたんだと思います。
 
今は実物としての日記帳は使っていません。特にパソコンを使い始めて、mixiを利用するようになってからはすっかり手書きから遠のいてしまいました。
高校生くらいのころは「字を書くこと」そのものを楽しんでいたこともあったので、筆記用具といろいろ変えてみながら書いていたのですが、次第に「書きたいこと」と「実際に書くこと」の間にタイムラグが発生してきてそれがしんどくなってきたのです。
字が汚いと単純に見てて嫌になるし、漢字を書いてる間に書きたいと思ってたことを忘れてしまったりするし。キーボードで入力すると、ほぼ思考と表記の速度が一致することに気づいてからは、もっぱら日記はデジタル一本になりました。どこででも書けるっていうのもいいですし。
 
過去の日記帳は今でも大事に保管してあります。さすがに最近はあんまり読み返すこともなくなりましたが。
ずーっと書いてきて、私の人生の同伴者みたいな日記ですが、2回全く書けなくなった時期がありました。赤ん坊を育ててるとき。特に一人目の子を産んでしばらくしてから、いっさい日記が書けなくなりました。その期間は空白となっています。だから記憶も曖昧なんだよなあ。でもつらすぎて書けなかったんですね。二人目の時は単純に時間がなかったから。
それとたぶん、「子育てで変わってしまった自分」を認めたくなかったのだと思います。
出産して育児してると、世界がそれだけになります。子供がどうしたこうしたってことくらいしか目に入ってこない。それを事細かに日記に書くのがすごく嫌だったんですね。子育ての記録は別に取っていたので問題はなかったのですが。自分というものが何か別のものに浸食されていくのが嫌だったのです。
子供がある程度大きくなって、自分の時間が作れるようになってようやく、日記を再開することができたように思います。
で、そこからはや十数年。毎日日記を書いて、毎日ブログを書く。これはもう私にとっては呼吸と同じくらい当たり前の行為になっています。できれば死ぬまで書いていたいなあと思っています。日記帳、に戻るかどうかは不明w