この先10年 | 10月の蝉

10月の蝉

取り残されても、どこにも届かなくても、最後まで蝉らしく鳴き続けよう

私の母は70を越えたあたりから、「あと10年生きるのはしんどいなあ」とよく言うようになった。さくっと死ねたらいいんだけどなかなか難しいわ、と電話で話すたびにそう言った。

そうやなあ、と相づちを打ちながら、そんなこと私に言われても困るんだけどねと思っていた。

あれは「そんなこと言わないで長生きしてよ」と言って欲しかったのだろうかと、今気がついた。でも私はそうは言わなかった。だって本人が「生きてるのはしんどい」って言うんだから、そりゃさくっと死ねたらいいねとしか思わなかったのだ。

ああいうことは子どもに言うべきではないね。だから私は自分の子どもにはその類いのことは言わない。思っていても言わない。

まあ、母はぼやきつつもなんだかんだと生きていて、こまめに病院へも通っているので、寿命が来るまでは生きているんだろうと思う。

落語の「死神」じゃないけど、残りの寿命がろうそくの長さで可視化されてればいいのになと思う。可視化されてないから思い悩むんだろうけど。

 

終活ということを考えると、いつ、何から手を着けたらいいのかわからなくて、結局そこで止まってしまう。

私の場合、いちばん大変なのは蔵書の処分だと思う。

読みたいままに買って所有している書籍が大量にあって、もし今突然死んでしまったら家族は困惑するんだろうなあと思う。捨てるにしても、古本屋に売るにしても、とにかく大量なのでとても手間が掛かると思う。

だから、もう再読しないだろうと思う本は処分していかなくちゃいけないと思うんだが、この線引きがなかなか難しい。

いっときでも好きになって買いためた作家の本は、なまじ一度好きになって読んだことがあるだけに決断しづらい。

もしかしたらまた読みたくなるかもしれない、と思ってしまうのだ。

とはいえ。時間も限られているし、読書体力がこの先減退していくであろうことを思うと、読んだ時に「なんだかなあ」とちょっとでも思った本はさよならした方がいいのだろう。

ぼちぼちと作業を進めていくしかあるまい。

 

演劇活動を始めてから、延べで10年以上過ぎた。

素人の活動とすればずいぶんがんばったものだと思う。

箸にも棒にもかからない活動ではあったが、それなりに充実感も味わえた。

脚本も書いた。

「フェンス」(2001) 外部提供

「あした春が」(2003)はっぴ~だいあり~ 作・演出

「おかえり」(2013) 創るえんげき 作・演出・出演

「占い師マスヨ」(2013) ビターエンド 作・演出・出演

「ブラックボックス」(2015) 作・演出・出演

「バスを待つ」(2016) 作・演出

「サバクオモト」(2016)劇団MUSES 作・演出・出演

「ピアス」(2017 外部提供)(2020再演 メビウス 作・演出)

「うしろの正面」(2018) メビウス 作・演出・出演

「結婚します!」(2021) 作・演出・出演

「アイノカタチ」(2022) 戯曲講座

「春の夜の夢のごとし」(2023) 作・演出

「夜明けまで踊ろう」(2024) 演劇工房メビウス 作・演出・出演

……13本か。シナリオセンターの課題は20作くらい書いた気がする。

ふむ。けっこう頑張ったのではないかな。

 

なんか満足しちゃったのかもなあと思う。たまたま今が公演の少ない時期だからかもしれないけど。劇団をやめて一人の活動にしたのは、ひとつにはこのまま自然消滅の途をたどってもいいかなと思ったからだ。

決して、一人でがんがんやっていきまっせ!ということではない。

声をかけてくれたらありがたくお受けするけど、結局の所私には自力で企画を立てたり、その企画を実現させたりする熱意も能力もないのだ。それがこの10年でよくわかった。

とことん受け身なのだな。それがよくないと思った時期もあるけど、能力がないんじゃしょうがない。だから、徐々に消えていくならそれが定めだと思う。ていうか、どんどん年を取っていくわけだし、先が広がってるわけがないのだ。いつまでもバカみたいな夢を見ている場合じゃない。

エンディングノートを書こうかなあとずっと思っているのに、なかなか手を着けられないでいる。計画性。私からはほど遠い言葉です(笑)