母性とは | 10月の蝉

10月の蝉

取り残されても、どこにも届かなくても、最後まで蝉らしく鳴き続けよう

私は、星座的には母性的なタイプらしいんだが、これに関しては一度も納得したことがない。(まあ所詮占いだからっていうのはあるにしても)

そもそも「母性」っていう言葉や概念自体がうさんくさいと思ってる。

なんだよ、母性って。

「母なるもの」に対する無限の憧れや思い込みで出来てる概念だと思う。

無償の愛とか? 見返りを求めない奉仕とか? 「子ども」のためにはなんでもする、みたいな? いやそれ都合の良すぎる解釈じゃないのって思う。

 

折しも、選挙の応援演説で「生まずして何が女性か」という言い回しを使った人がいて問題視されてる。

無から有を生じさせることを「生む」と比喩的に表現するのはわかるんだが、選挙で該当者を当選させることは別に「生む」行為じゃない。比喩的に「生み出す」と言うことはできなくはないけど。

確かに、生物的には女性(雌)は子を妊娠して出産する機能を持っている。そういう臓器を持っている。それは生き物としての作りであるというだけのことであって、その先にある「母性」という概念は直接の関係を持たない。あるとしたら周囲の勝手な期待と要望だけだ。

 

結局個体差なんだと思う。男性女性を問わず、「他の個体を注意深く愛情を持って世話したいと思う」人はいる。逆にそういう気質を持たない人も男女問わず存在する。それだけのことだと思うのだ。なのに、女性であるというだけで、「母性(他人を世話したいと願う気質)」を持つことを勝手に期待されてしまい、その期待を裏切ると轟轟たる非難が湧き起こる。

 

今まで生きてきて、つくづく私には「母性」が欠けていると痛感した。

他人の世話をすることに喜びを見出すことができない。

やらなきゃいけないから義務を果たしているけど、やらなくてすむならやりたくないといつも思っている。冷たい人間だ、欠陥人間だと思われたくないから、優しげな仮面をつけているけれども、本質は自分勝手な人間なのである。

家庭や家族にほとんど関心を持たなかった父親を非難する資格は私にはないな。

生育環境によるものなのか、そもそもの気質なのかはわからないが、私は他人から関心を寄せられたり世話をされたりするのがなんとなく苦手だ。興味を持って接してもらいたいという願望、理解されたいという願望はあるくせに、いざとなると腰が引けるし、信じられないと思ってしまう。

自分の身勝手さや冷酷さがよくわかっているからこそ逆に、人に気を遣うことができるし親切にしたり優しくしたりできるのかもしれないとも思う。ありのままに振る舞っていたら、とんでもない鼻つまみ者になるのは明白で、だから人前ではすごくがんばってちゃんと振る舞おうと努力する。でもそれがうまくいってるかどうかはわからないから、後で激しく脳内反省会を開催するのだ。だから疲れるんだろうなあと思う。一人になると心底ほっとするし。

人が嫌いというわけじゃないのだがね。

 

なんにせよ「母性」という言葉や概念で物事を語らないでほしいものだと思う。