珈琲哀歌 | 10月の蝉

10月の蝉

取り残されても、どこにも届かなくても、最後まで蝉らしく鳴き続けよう

珈琲の値段がじりじりと上がっている。

 

私がいつも買っている豆、前は確か330gとか入ってたと思うんだ。

でもそれがいつの間にか280gになってて(やけに減りが早いなとは思ってた)、さらには240gになってた。値段は一応同じくらいなんだけど微妙に値上がりもしてる。

なんだなんだと思っていたんだが、今朝の新聞記事を読んでわかった。

珈琲の値上げは、原料のコーヒー豆の価格高騰に容器や物流費の増加、さらには円安が重なって輸入コストが膨らんだせいなのだそうだ。

コーヒー栽培が盛んなのは、赤道を挟んだコーヒーベルトと呼ばれる一帯らしい。

このベルトの幅はかなり狭くて、しかもコーヒー自体もなかなかに栽培が難しい植物であるらしい。霜が降りたら一夜にして全滅、とか、天候不順による不作も多いらしい。

 

そういうことを知ると、おいそれとコーヒーが飲めなくなる。

とても貴重で贅沢なものなのだと改めて思う。だってコーヒーを飲まなくても生きていけるもんね。

 

物の値段は上がるけど収入はさほど増えない。毎日の買い物ですら気を抜いてはいられない。

消費税の存在もあるし。消費税込みの値段表示ならまだしも、税抜き価格で表示されてる店だと、最後の会計時に消費税でびっくりさせられてしまう。そんなに大散財したつもりはなかったのに、結果的にけっこうお金を使ってしまっているということもしばしば。

うっかり買い物もできない。本当に必要なものだけをきちんと計算して購入していくことが大事になってくる。

 

お金もねー。あるところにはあるんだろうけど。裏金で大金もらって知らん顔していられる人たちもいるみたいだし。冨の偏在。

 

今の世の中、生きていくのは本当に大変。

子どもを産めというくせに、何の制度も整えないし、世間の目も冷たい。

子どもってさあ。まず生まれてくるまでに10ヶ月くらいかかるし、生まれてからだってすぐに大人になるわけじゃない。20年かかるんだよ。みんなそうやって大人になってきたはずなのに、なぜかすぐに忘れちゃうんだな。突然どこからか供給されてくるんだと思ってる。

だから、実際に妊娠したり育児したりしている人を非難できるんじゃないの? なにやってんだって。

人間は規格製品じゃないので、一人一人違う。だから、うまく出来る人もいれば出来ない人もいて、ひんしゅくを買うような行動を取ってしまう人もいれば、賞賛されるような人もいる。で、ひんしゅく買うような人が一人でも可視化されるとすぐに「全員がそうだ」みたいな雰囲気になってしまうのが昨今の風潮。それもまた息苦しい。

 

コーヒーから話が逸れちゃった。悪い癖だ。

中学生くらいのころは、家でインスタントコーヒーを飲んでた。砂糖もブライト(粉末のやつね)も入れた甘いコーヒー。うちではあれが「コーヒー」だった。

高校生になって初めて喫茶店で珈琲を飲んだ。めっちゃ背伸びして、ブラックで飲んだキリマンジャロは、うっすら酸味があって苦かったけど、「大人の味」がした気がする。

あれから何十年、ずっと珈琲が好きで飲んできたんだけど、この先いつまで飲めるんだろう。

本当に贅沢品になって、そのうち手が出せなくなる日が来るのかもしれない。