花に嵐のたとえもあるぞ | 10月の蝉

10月の蝉

取り残されても、どこにも届かなくても、最後まで蝉らしく鳴き続けよう

さよならだけが人生だ、と言ったのは誰だったか。

3月も終わりに近い今日、とんでもない暴風雨に見舞われている。

しかもこれが午前中で終わって午後は晴れてくるというのだから、まったくもって天候に翻弄されておるわけだ。

 

突発的にやる気が降ってきて、昨日は小道具製作に着手できたんだけども、そのあとにとある写真を見てすっかり気落ちしてしまった。

以前ちょっと関わりのあった劇団が先日公演を終えて、その報告ブログをアップしてたんだけど、そこに製作した小道具(むしろ大道具に近い感じ)の写真があった。

そのできばえがあまりに素晴らしくて、ちょっと息を呑んだ。

え、こんなかっこいいもの、作ったんだ、という驚き。

とうてい私には作れそうもない、センスのいい、きれいな小道具。

 

以前所属していた劇団では、入団してからずっと小道具作りを担当していた。

なるべくお金をかけずに、でもなるべくそれらしく、をモットーにしていたんだけど、何度か「小道具がしょぼい」とか「チャチだ」という感想をもらったことがある。

「手作り感満載だね」と、褒めてるようで微妙にけなしてるような感想。

いや、自分でもわかってるんだよ。なんとなくチャチな感じがしてるし、手作り感(要するにでこぼこしてるってことだ)がにじみ出てしまってることは。

少しずつ手際がよくなって、それなりにきれいに作れるようにはなったけど、どうしようもなく全体からにじみ出る不細工さは隠しようがない。

買うより安いとか、臨機応変に対応できる、という利点はあれど、どうしても、どうしても出来上がりに「手作り感」が漂ってしまう。

材料が材料だからかなあとか、所詮素人だからな、とか、そうやって自分を慰めるしかないのだが、やっぱりあれは衝撃だった。たとえ材料費をふんだんに使っても、あんなふうにセンスの良いものは作れそうにない。

じゃあ、やめるかって言ったらやめないんだけどさ。へこみつつも、最大限の努力をしていくしかないことはわかってる。でも気持ちは沈むよね。

 

10年やってきたからなあ。そろそろおしまいにしてもいいのかもしれない、なんて思ったりする。もともと私がやる意味なんてどこにもなくて、ただ自分がやりたいから続けてきただけなんだけどさ。あんまりすごい人ばっかりで少々めげているところ。

そのうちちゃんと消えますので、今しばらくの目こぼしをお願いしたい所存。