寒い寒い日 | 10月の蝉

10月の蝉

取り残されても、どこにも届かなくても、最後まで蝉らしく鳴き続けよう

各地で大雪が降っているようだ。

私が住んでるところは、凍ったような青空と氷のような陽光と暴れ回る冷風である。雪は降らないのだよねえ。

 

さて。

ここ数日、私のTwitterタイムライン上での話題は、もっぱら「旅館や飲食店において、勝手に女性客の料理が減らされている問題」と、「子どもを産む産まないに関する話題」である。

私はまず高級旅館などには行かないし、高級な料理屋さんにも行かないので遭遇したことはないのだが、いわゆる「老舗」と呼ばれる、古くから営業しているような(つまり中の人たちが古い価値観を持っている確率が高い)店では、女性客というのはけっこう差別的な扱いをされるらしい。

同じ料理を頼んでいるのに、女性客の方だけ「小さい、少ない、切れ端の部分」を出してくるというのだ。写真付きでツイートしている人もいて、まあ昨今のことだから写真もどこまで信じていいのかはわからないが、明らかに部位が違うよね、というものである。

男性客には「良い所」を出し、女性客には「半端な所」を出す。ステーキなら、男性は真ん中のところ、女性は端っこ。魚なら男性客は頭~腹のあたりの身がついているところ、女性客には尻尾に近い部分、もしくは半端な形になったところ。そういうものを出すというのだ。これが安い店ならまだしも、一食に何万円という大金を取る店がやるというのだ。実に恐ろしい。

和風旅館だと、食事時にお櫃を持ってくることが多いが、それを必ず女性側に置くという話もあった。これは私も経験がある。当たり前のように女性側に給仕を押しつけているのは問題だというわけだ。

わざわざ女性客を限定して「よくない方」を提供するとは、なんともご苦労なことだと思うが、そういう目に見えた形で女性を下げ、男性を持ち上げる形にせよという人たちがけっこういるのだろう。女性と見るやため口で物を言い、偉そうに説教してくるというタクシー運転手の話も出ていたなあ。

今まで男性主導とされてきた世界で行なわれてきた女性差別が、ここへ来て次々に明るみに出ているようだ。どれだけ今まで黙って耐えてきたのかと思う。いや、耐えてきたというよりは、そういうものだと思い込んで(思い込まされて)きたのだろう。

現に、同じ女性でも女性差別的な考え方の人はたくさんいる。それが処世術だったのだ。だから「女はわきまえるべき」と女性に説教してしまうし、ちょっとひねって「そうやって手のひらの上で男を転がしておけばいいのよ」と語る人もいるのだ。

 

しかし、こんにち、ここまでSNSが発達し、あらゆる情報が瞬時に公開されるようになってくると、今まで見過ごしてきたもの、見過ごしてもらえてきたものがどんどん表に出てくる。写真や体験談が数多く語られるようになれば、たとえその中にいくつか作り話が混ざっていたとしても、圧倒的多数の証言の前にはその意味も失せてしまう。ひとつひとつの話に「はい嘘松」とやっていても意味がないのだ。

 

女性客だけだったり、母親と子ども(しかもさほど裕福そうに見えない親子)だけだったりすると、他に空席があったとしても、一段格下の席に案内されることはある。私にも経験がある。

同じ料金なのに勝手にご飯の量を減らされる、なんていう詐欺みたいな目にはまだあったことがないが(というかそもそも私はあんまり米を食べないのでよくわかってないのかもしれないがw)、それもこれも相手が女性だからやってもいいのだとされていることが問題なのだ。

女性だから軽く扱ってもいい、女性だから相手にしなくてもいい、女性だから粗末な方をあてがっておけばいい、女性だから女性だから女性だから。

挙げ句の果てには、「子どもは産まない」と発言しただけで総攻撃だ。生めば生んだでもろもろ差別したり冷遇したりするくせにね。

 

私は家庭内で自分の立場を確保するために子どもを産んだけど、選べるのであれば産まなかったと思う。産まない選択をするための力を持たなかった自分の敗北である。

よく、独身だったり子どもがいないと老後に寂しいよということを言う人がいるが、あれはいつもよくわからんと思ってしまう。結婚してたって寂しい時は寂しいし、子どもがいたってそれが自分の寂しさを埋めてくれるとは限らないのに。そういうことを言う人は最初から配偶者や子どもにもたれかかるつもりでいるんだろうと思う。よけられたら盛大に恨んだりするんだろうな。

 

女性差別について怒りを表明できる人が増えてきたのは喜ばしいことだと思う。

私や私より上の年代はそれがうまくできない人が多いと思う。

「うまくいなすのが大人の女である」とか「わきまえるのがイイ女である」なんていう思想にがんじがらめにされてきたのだから。

旅館での食事時に自分の横にお櫃が置かれたら黙ってご飯のおかわりをよそう。自分の料理が端っこや尻尾の方だとしても、そういうものだと思って食べる。

セクハラだと思っても相手の顔を立ててなんでもないフリをする。迷惑だなと思っても相手の顔を立てて文句を言わない。

そんなふうにして生きてきた。ま、いくら言ったところであっさりと踏み潰されてきたっていうこともあるけども。

それがようやく、少しずつだけど跳ね返そうとする人が出てきた。ちょっとだけ人類に希望の光が見えたような気がする。

私はもう手遅れだけど、下の世代の人たちが苦しまない世の中になっていってほしいと思う。

 

寒い寒い日。勝つのは陽光か、冷たい風か。