家族の在り方とは | 10月の蝉

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相変わらず選択制夫婦別姓制度は実現しませんが。

現行の法制度(強制的同姓制度)を支持する方たちがいちように口にする「家族内に別姓の人がいたらよくない」という理由が、今ひとつ腑に落ちません。

そもそも「家族」の定義というか範囲が曖昧すぎるんですね。

おそらくこの方たちが想定している家族って、「両親とその子ども」だけのように思えます。

だから、父と母が違う姓を名乗っていて、子どもはそのどちらかの姓を名乗っている状況を思い浮かべているのでしょう。

「田中某という父と、佐藤某という母と、田中某という子ども」みたいな構成。

で、母親と名字が違うなんてかわいそうじゃないか、というわけです。だいたい子どもをだしにして反対してる人はこういう設定を思い浮かべてるんじゃないかと思うんですね。

 

まあ、いろんな人が口を酸っぱくして言ってますが、あくまでも「選択制」なんですよ。

選べるの。どっちがいいか、好きな方を選べる。

だから、同じ姓にしたい人は片方が改姓手続きをして同姓になればいい。改姓手続きはかなりめんどくさいですが、それが苦にならない、むしろ嬉しいと思う人だっています。

同時に、今まで自分が名乗ってきた姓のまま法律婚(つまり法制度で守られた結婚)をしたいという人は、どちらも改姓しないまま結婚できるようにしましょうというのが「選択制夫婦別姓制度」だと思うんですよ。

 

あと、どうも「結婚」というものが情緒的なものだと思ってる人が多いように思います。

愛だとか、絆だとか、そういうもの。

それがないとは言いませんが、結婚とは社会的契約のことです。一定の条件を満たしたら法的に保護する。その「一定の条件」が現状では、「異性が相手である」「どちらかの姓を名乗る」になってる。そういう法律なのです。

で、それでは現状に合わなくなってきてるから、姓を統一しなくてもいい、とか、異性が相手でなくてもいい、みたいに変えていこうという話なんですね。

お互いが名字を変えないまま「結婚」したら家族がバラバラになるとか、同性同士で結婚したら国がおかしくなるとか、そいういうことではないのです。

というかさ。他人が何を選ぼうと大きなお世話じゃないですか?

誰かが別姓で結婚してたら自分が何か損害を被るのでしょうか。

同性同士で結婚してたら何か困りますか?

なんにも困らないと思うんだけどなあ。どうしてここまで頑強に反対するのか、理解に苦しみます。

「婚姻」すると、さまざまな法的保護が受けられます。財産とかもそうだし、病気で入院するときとか、死んだ時とかに、家族でなければ許可されない行為がたくさんあるんですよ。そういう仕組みになっている。だから、改姓しないで結婚したい、とか同性同士で結婚したいという要求が出てくるんです。事実婚でいいじゃないかとか、旧姓が使えるからいいじゃないか、というレベルの話ではないのです。

なんで何十年も議論され続けてて、いまだに解決されていないんでしょうね。(まあ理由は薄々わかってますけども)

 

家族ってなんなのかなあ。

血のつながりだけじゃないと思うんですよ。

あと、「同じ名字の集団」でもない。

親と子だけが家族というわけでもない。

「結婚」という制度と家族はイコールじゃないと思うのです。