自分の声 | 10月の蝉

10月の蝉

取り残されても、どこにも届かなくても、最後まで蝉らしく鳴き続けよう

初めて録音された自分の声を聞いた時の衝撃は忘れられないものがある。

「えー、こんな声で、こんなしゃべり方してるんだ?!」って。

変な声、とも思った。

自分で聞いてる自分の声は頭蓋骨で反響してる?そうで、実際に他人の耳に聞こえている音とは違うのだ、という。

そういうことってなかなか実感できないものなので、以前は録音された自分の声を聞くのは大嫌いだった。

 

芝居を始めてからは、だんだんそういうことが少なくなっていった。

上演された芝居を記録用に録画するということが当然のことに感じられるようになったころ、ようやく自分の芝居やら声やらをある程度客観的に見ることができるようになった。

今でもあんまり楽しい作業ではないけれども、それでも「ああ、ここがこうだからだめなんだな」とか「こういう声の出し方はイマイチだな」ということを冷静に判断できるようになったと思う。

 

というわけで、7月16日、17日に予定されている一人芝居の稽古を録音してみた。

「インタビュー」というタイトルの、8分弱の芝居。

実は録音して聴いてみるのは初めてである。

いつになく緊張しつつ演じてみて、さて再生。

そしたら、第一声から「あー、違うな」と思ってしまった。

演じているときの想定よりずっと低いし、勢いがない。「テンションが低い」ってやつ。

そのせいで、後半とのギャップも明確に表現できてなかった。

総じて、「自分だけが演技に浸っている感じ」だった。

この作品はやたら刺さってくるところの多い話で、過去のいろんな気持ちがざくざくと刺激される。だから共感してしまう部分が多いわけだが、それが逆効果になってしまっている。

ふーむ。なるほど。確かにこれでは思っていることがきちんと表現できていないな、と確認できた。

 

できれば一度、録画もしたほうがいいんだろうなと思っているのだが、声以上に姿を見るのはハードルが高くてね。それを見たせいで映像が脳裏に残ってしまい、動きがとれなくなってしまうのではないかという恐れがある。ほんとはそこも客観的に見ることができたらいいんだけどね。

 

一人芝居っていうのは相手がいない分、自分の想像力とその表出力が試される。

おはなしを語るときでも明確なイメージを持てと言われるんだけれども、それ以上にくっきりと明確に相手が見えてなくてはならない。そこをおざなりにすると、なんだかわからない一人語りになってしまうんだろうなあ。

実際に相手がいるほうが楽なんだな。

 

好きじゃないけどこれが自分の声なんだから、諦めてつきあっていくしかないんだよな。

自由自在にコントロールしたいと強く思う。