逃げる | 10月の蝉

10月の蝉

取り残されても、どこにも届かなくても、最後まで蝉らしく鳴き続けよう

ネットではたくさん見てきた。

モラハラ夫から、毒親から、「逃げる」ってこと。

自分を守るために決死の覚悟で逃げ出すのだ。

他人事なら「そうだよ、がんばって逃げるんだ!」って思えるんだけど。

 

これが我が事となるとこんなに難しいとはね。

 

とある会から逃げることにした。

ちょっともう限界だな、と思って。

信頼できる人に話を聞いてもらったんだけど、「もうそれは、すべてを振り捨てて逃げ出してもいい状況だよ」と言ってもらえて(そう言ってくれるだろうと思われる人に相談したということはあるけど)、やっぱりそうなのかな、と。

それでもなお、「今、放り出したら無責任なんじゃないか」とか「残る人たちに迷惑をかけるよなあ」とか、そんな気持ちがポコポコ浮かんでくる。

いや、今までそう思って我慢し続けてきたんじゃないか。

私の言動を逐一非難し、否定してくる人たちを相手に、自分なりに一生懸命戦ってきたんじゃないか。

無駄に責任感が強いというか、変なプライドみたいなものがあるというか、「無責任なことをしてはいけない」と必死に我慢してきたんじゃないか。

でもそれがまったく無駄だったということが急速に判明してきたのがここ数週間のことで。

その人たちからグループラインが来るたびに、動悸が激しくなり、胃が重くなった。

考えたくもないのにぐるぐると頭の中で、仮想の言い争いを続けてしまう。

こう言ったら相手はこう言うだろう、というのがほぼ想像できてしまい、それだけでぐったり疲れる。

現実に顔を合わせて話したら、自分が想像していた以上にひどい言われようをする。

月に一度の会合なのに、ダメージから回復するのに半月かかる。

特に最近は感染症拡大にともなう世情の混乱から、想定外の出来事が多発しているので、より一層会議が紛糾する。私が何かやろうとすることが、ことごとく会の利益に反すると言われてしまう。

この1週間は特にひどかった。

あ、まだ1週間しか経ってないのか。もっと長期間だと錯覚していた。あまりにつらかったので、時間の感覚がおかしくなってる。

 

それでもまだ、あと1年はがんばらないといけないと思っていた。

でも、よく考えたら、私ががんばらなきゃいけない理由なんてどこにもない。あると思わされていただけだ。

会長不在のときは副会長が代行する、と会則にもうたっているのだから、いなくなっても別にいいわけだ。だって病気で倒れたり、事故にあったり、死んでしまったりしたら、そうせざるを得ないわけだし。

 

どうしたって非難はされる。無責任だ自分勝手だと非難囂々だろう。そんなことはわかっている。

今まではその非難が怖くて、つい我慢に逃げていたんだけど、逃げる先が間違っていたんだな。

 

「ちょっと今から仕事やめてくる」という小説で、主人公が仕事をやめるシーンがある。

ドラマとかでも見かける。あんなふうに、きちんと「やめます」と言ってやめようと思ってる。

仕事じゃないので辞表は書かないけど。

最低限の引き継ぎはきちんとして、余計なことは言わず(言い出すときりがないからw)、言うべきことだけ言って立ち去ろう。

そのときのことを想像すると、今からドキドキして胃が痛くなるけど。

がんばれ、私。