哀しいことのみ多かりき | 10月の蝉

10月の蝉

取り残されても、どこにも届かなくても、最後まで蝉らしく鳴き続けよう

2月の「ザ・ファブル」の公開を楽しみにしていたのですが、今日のニュースで公開延期が決まったと言っていました。007の映画はもう何回目かの延期だそうで。

毎日のようにテレビで感染状況の拡大を伝えています。まったく状況を知らないのもまずいと思うので、なんとなく気にはしていますが、正直もううんざりといった感じ。

何が正しいのか、どうすればいいのかもわからないのに、政府の対応はこれまた「どうなの?」というものが多くて。

これはあれですかね、国民は死ねって言ってるんですかね。

いやそんなあからさまには言ってませんが、保障はしないが営業はしないでくれとか、ほんと意味がわからないです。お店って、お客さんに何かを売ってその利益でまわっているものなのに、お店はやるな、でも収入は保障しないっておかしいでしょう。

マスコミの報道もおかしくて、外出は避けましょうって言ったその舌の根も乾かぬうちに、「人出が少なくて閑散としています」ってさも残念なことのように報道する。どっちやねん!ってそのたびに思います。

 

ワクチンは果たしてどうなるのか。

抗体による治療薬は果たして出回るのか。

よしながふみさんの「大奥」では、赤面疱瘡という架空の病が日本中に蔓延しています。幕末近くになって、ようやく「種痘」という概念が出てきました。あのジェンナーの逸話のように、さまざまな苦難を乗り越えて種痘を定着させ、赤面疱瘡を克服していきます。でもあれ、何年かかったんだろう。家光の時代から幕末だから、かなりの年月ですわ。

新型コロナはどういう経緯をたどるのかなあ。

こういうときに、神の視点から物語を俯瞰したくなりますね。つまり、他人事として眺めたい。

ああ、大変なんだね、と心を痛めながらも結局は他人事だから、本を閉じたらそれでおしまい。

そんなふうになりたいと思ってしまいます。

亡くなった人がうらやましいとすら思ってしまうのは、心が弱っているからでしょうかね。

 

今日より先のことについて考えると、それがどんなことであっても不確定要素のほうが大きすぎて何も考えたくなくなります。

 

ゾンビ映画とかで、一番最初にやられてしまうのはパリピ系ウェーイ系、あと無防備なやつと相場が決まっています。主人公は危機を回避して最後まで生き残り、「よしやったるで」と前向きの姿勢。いちばんかわいそうなのは、そこそこの警戒心で中盤まで生き残ったものの、最大の恐怖の中で死ぬはめになる三番手、四番手くらいのキャラ。これがいちばん辛いよなあといつも思ってるんですが、たぶん私はこういう立ち位置になりそう。めっちゃ恐怖にさらされて、つらい思いをして、でも報われなくて死んでしまう。そういう損な存在。今の自分を振り返るとどうもそういう道を歩いているようで気が滅入ります。

できることなら、何もわからないうちに終わっている最初のキャラになりたいものです。