「そういうことか!」となる瞬間 | 10月の蝉

10月の蝉

取り残されても、どこにも届かなくても、最後まで蝉らしく鳴き続けよう

私が最初に読んだ辻村深月作品は「ツナグ」でした。

今でもこの作品は大好きで時折読み返すくらい。

文体が好みだったので、ほかのも読んでみようかと手を伸ばしたのはとりあえず文庫の「スロウハイツの神様」でした。

面白かったんだけど、なんていうか、表面的な面白さしか見えないぞと思ったんですね。

これ、向こう側にもっと面白い大きな物語があるぞ、と感じたものの、どうしてもそれが見えないもどかしさがあって、やや不完全燃焼な気持ちを抱きました。

その後、全作品踏破の作家にはならなくて、本屋で手に取って面白そうだなと思うものだけ読むカテゴリーに入ることになりました。

即買いの作家さんの小説が出ないときに本屋の本棚をじっくり眺めて、「読んでみるかな」というくらいの感じで手に取ったものを読んできたので、私の中で今一つ地図のできない作家さんだったのです。

(地図ができるっていうのは、作品世界のつながりとか、作者の価値観がだいたい想像できるという意味)

 

「かがみの孤城」で本屋大賞を受賞されたことで、文庫の帯が新しくなったようでした。

それを見ると、「スロウハイツの神様」から始まって、「ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ」までがすごろくになっているんですね。途中の作品は読んだことがあったけれど、読んでいないものもあったので、この際すごろくに従って読んでみようかと思いました。

その時点で持ってなかったのは「子どもたちは夜と遊ぶ」「ぼくのメジャースプーン」「名前探しの放課後」そして「ロードムービー」

これを順番に沿って読んでみました。一度読んだものは再読。

 

今日、デビュー作である「冷たい校舎の時は止まる」を再読し終えたんですが、もうねえ、叫びまくりましたわ。そういうことか、そうだったのか、あなただったのか、あれはそういうことだったのか、の嵐(笑)

 

リアルタイムで読んできたファンの方には、「今頃何言ってんだ」と思われるかもしれませんが、私にとっては初めての読書体験なのでご勘弁を。

 

以前読んだときに感じた、不透明な膜というか壁が一気に崩壊して、辻村深月ワールドがくっきり見えてきた気がしました。

ほんとにね。ああ、あれはこういうことだったのかってわかった時の気持ちよさといったら。

もう一度全部読み返したくなりました。

 

小説の世界がリンクしてるっていう書き方がほんとに好きなのです。

そこに確実に一つの世界があるって思えるから。

創作なんだけど、フィクションなんだけど、確かにそこに世界が存在してる。あの作品に出てくるあの人、あの子がここにいるってわかったときのうれしさ。

そういうものをたっぷり味わうことができました。

 

以前「冷たい校舎の時は止まる」を読んだときは、正直言ってよくわからなかったのです。

出てくる人たちがどういう人たちなのか、ここに書かれている感情をどう受け止めたらいいのか。

それが、ほかの作品を読んで一周まわって戻ってきたら、ああ、そういうことかと腑に落ちる感覚があって。

 

こんなふうに感じる作家さんは今のところ辻村深月さんだけ。

それだけ張り巡らされているものが多いってことなのかなあ。がっつりリンクしてるし。

 

宮部みゆきさんの小説は1作1作独立して楽しむことができます。たまにリンクすることがあって、それはそれで嬉しいんだけど、でもそれがなくても十分楽しめます。

小野寺史宜さんの作品は辻村さんと同じで、けっこうリンクしてるかなあ。みつば市の話はけっこう好きです。ちらっと作中に登場する他作品の登場人物ににやっとしたりする。

でも、全部読んで初めて世界観が見通せたような気持ちになったのは、辻村さんが初めてかも。

すごろくで取り上げられている作品は、高校や大学などの若い人が描かれていて、私はそういうジャンルのものが大好きなのです。

 

最近また好きな作家さんが増えてきて、嬉しい悲鳴をあげています。

水沢秋生さんや寺地はるなさん、川瀬七緒さん、小野寺史宜さん、下村敦史さん、行成薫さん、などなど、次々に面白い小説が出るので本棚が追いつきません。いつか家の底が抜けるかも(笑)