絵本と私 | 10月の蝉

10月の蝉

取り残されても、どこにも届かなくても、最後まで蝉らしく鳴き続けよう

どこかでちらっと見かけたのですが、今日は絵本の日だそうで。

 

ふと立ち止まって考えてみると、今の私と絵本の関わりは、昔の自分からは想像もつかないようなつながりになっているなと。

今でこそ子供たちにせっせと読み聞かせをしたり、赤ちゃんにブックスタートとして絵本を勧めていたりと、かなり深く関わっておりますが、実を言うと絵本とまともに向き合ったのはここ数年のことなのです。

 

子どものころ、私はほとんど絵本を手に取りませんでした。

かろうじて記憶に残っているのは「ちびくろさんぼ」くらいなもの。

「ぐりとぐら」も知りませんでしたし、その他有名な絵本もまったく知りませんでした。

忘れているだけでそれなりに読んでもらったのかもしれないのですが、見事に記憶にない。

気づいた時には文字だけの本を読んでおり、実のところ「絵本なんて」と思っていたのでした。

 

最初の子どもが生まれたときに漠然と「子どもには絵本だよね」と思い、いろいろと買い求めました。

たくさん読んでもやりました。でもそのときでも、絵本は子どものもの、子どものために読んでいるという意識でした。

 

息子が小学生になったときに、読み聞かせのボランティアがあると知り、そこから初めて絵本の世界にちゃんと関わるようになったのです。

だから最初のころは、ちんぷんかんぷんでしたよ。読み聞かせをやっている人たちの間で交わされる「ああ、あの絵本ね、あれはいいわよ」的な会話にまったくついていけず、「へえ、そういう絵本があるんですね」なんてぼんやりした受け答えをしていたものです。

 

そういう始まり方をしたせいなのか、今でも名作とかロングセラーという価値観にあまり共感できずにいます。確かに長く読み継がれてきたものはしっかりとした作りのものが多いと思います。でも時々、つまんないなあと思ってしまうんですね。

 

「子どもはこういう絵本が好きよね」とか「こういう絵本こそ子どもに与えたい」という言われ方をよく耳にするのですが、そこがよくわからない。

最終的には自分が面白いと思った絵本を読むことになります。

最初は悩んだりもしたのですが、このごろは開き直って「自分が面白いと思わなければ伝わらない」と割り切っています。

何冊も読むうちに、琴線に触れる作品にも出会えるようになりました。

読み方も徐々に自分なりの読み方になってきています。

「子どもに良い絵本を与えたい」とは思わなくて、「この絵本、すごく面白いから聞いてみて」という感じ。

それでいいかなと思っています。

 

さて。いよいよ明日から12月。

明日は息子の演劇の発表会があるのです。

市民会館の入り口にはこんな飾り付けがされていました。

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12月にはクリスマス関連の絵本を読むことになります。

何を読もうかなあ。