息苦しい世界 | 10月の蝉

10月の蝉

取り残されても、どこにも届かなくても、最後まで蝉らしく鳴き続けよう

まあ、見なきゃいいだろうっていうところなんですけど、どうしても見てしまうのがTwitterでして。

ごくまれに、非常に興味深いブログや記事に出会えることがある。だからつい、毎日のように開いてしまうわけです。

そうすると、しんどい事象に次々に遭遇する。

世の中には恐ろしいほど冷酷な差別主義の人がいたり、信じられないほど浅はかな人がいたりするんですな。自分がフォローしてなくても、誰かのリツイートで流れてきてうっかり読んでしまう。

ほんとにこんなことを思ってる人がいるのか……と、人の価値観の幅の広さに呆然とすることもしばしばです。

 

どうしても子ども関連のことは目についてしまうんですが、おじいさんが「子どもは3人産め」と他人に要請したり、「赤ん坊は母親が好きに決まってる。父親がいいという子は変だ」なんていったりするのを見るとどうにも心がざわついてしまうわけでね。

自分の妊娠出産育児の記憶が生々しく立ち上がってきて、どうにも穏やかではいられない。

何年たってもずっと傷口はふさがらず苦しいままです。

んでまた、他人の傷や痛みを軽々しく判断する人もたくさんいて。これは男女問わずですねえ。

「そんなのが傷だなんておかしい」とか「痛いはずない」とかね。お前はエスパーか、と。

どうして他人の気持ちがわかると思えるんでしょうな。

 

読み聞かせやわらべうた遊びの現場でも、時々ちくちくと傷が痛むことがあります。

一緒にやってるおばあさんたちが無邪気に口にする母親神話。若い母親批判。そういうものでヒリヒリと痛い思いをするんですね。でもたぶん、絶対あの人たちには理解できないだろうと思うと、反論する気力も失せる。

「今の若いお母さんたちはすぐに赤ちゃんをほったらかしてスマホばっかり見てるから嘆かわしい」という言葉に、「ああ、まあ、ねえ」とあいまいに応えることしかできないでいるのです。

 

少子化、少子化と騒ぎ、なんとか子どもを増やしたいと思っているはずなのに、やってることは正反対のことばかり。子育ての環境も整えず、経済状況の好転もできず、現実の妊婦や子育て中の親を追い詰めるようなことばかりしているのに、片方で出産を奨励する。なにをやってんですかねえ。

がんばって育てても、学校で潰されたり、運動の指導者に潰されたり。

私自身はもう子どもが産める年齢ではないので直接関わることはないんですが、どうしても娘に子どもを産むことを勧められずにいます。娘が生みたいといったらそりゃ応援はしますけどね。こっちから勧めることはどうしてもできません。

 

毎日のニュースを見ていても暗い気持ちになるものが多くて、なんだかしんどい毎日です。

なんだかとても、息苦しい。