あきらめが肝心 | 10月の蝉

10月の蝉

取り残されても、どこにも届かなくても、最後まで蝉らしく鳴き続けよう

日々気持ちが乱高下していて、今日はやや下降気味。

そういうときに、ハードな本を読むと下降速度がアップしてしまう。

 

代理で声優学校の講師をすることがあって、声優を目指す若者たちに演劇についての授業をしている。

まあこうやって文字にしてしまうとすごいことしてるみたいだけど(笑)

テキストに使っているのが鴻上尚史さんの本で、「発声と身体のレッスン」という本を参考にしている。

あとは、自分が劇団やワークショップなどで学んだことを、これからの若者に伝えようと悪戦苦闘しているところ。

そのコースが始まってからそろそろ1年になるので、少しは講義の内容もグレードアップしなくちゃいかんなと思い、同じく鴻上さんの「演技と演出のレッスン」を読み返してみた。

本気で俳優を目指す人は絶対読んだほうがいいと思う本なのだが、これが私には少々きつい。

自分がいかに、「課題と正面から向き合い、それを克服しよう」としてこなかったか、を1ページごとにつきつけられるような感じなのだ。

主にスタニスラフスキー・システムをベースにして書かれたこの本では、「演技するとはどういうことか」について詳しく書かれている。そして具体的なレッスン方法が順を追って丁寧に説明されているのである。

まじめに、この手順に沿ってレッスンしていったら、かなり優れた役者になれるんじゃなかろうか。

でも、その分、課題はかなり厳しい。

さっと読んだだけでも、「いやこれはなかなか難しいぞ」と思うようなものばかり。

 

若い時に演劇の道を選び、劇団や研究所に入ったりしてこういう勉強を積み上げていくなら、きっと可能性はたくさんあるだろう。ものすごくしんどいとは思うけど、でも若いということは時間がある、ということでもある。じっくり取り組んでいく、という力は持っているんじゃなかろうか。(そういうのがない人はそもそも演劇の道を選ばないと思うし)

でも、私は、うっすらとそういう厳しさの匂いだけかぎつけて、そこから逃げた。

「私には無理だから」という一見まともな理由で。

チャレンジすらしなかった。

「当たって砕けろ」とよくいうけど、ちゃんと砕けることができたら思い切ることもできるんだと思う。

砕けないまま、当たらないように巧妙に回避した結果、いつまでたっても思いきることができなくてずるずるとここまでやってきてしまった。

そして今、若い人がこれからやるような勉強方法を見て、改めておじけづいてる。自分の持ち時間のなさ、可能性のなさに愕然としている。

 

そうか、私はもう高みへは行けないんだな。

 

当然の結果なのに、今さらのように残念がってしまう。

やりもしなかったくせに、もう手が届かないと嘆くのはかなりみっともないことだなと思う。

 

そういうことを思うとね。気持ちが下降線を描いてしまうわけですよ。

 

今できることをやるしかない。今の最善を尽くすしかない。そんなことはわかってる。それしかないことは自分がいちばんよくわかってる。と思う。

だから、気を取りなおして、今の自分ができることを地道にやっていくしかないんだけどね。

 

ちょっと気が滅入っちゃうなっていう話ですよ。昨日の稽古の動画を見てしまったりしたもんだからね。

あまりにも自分ができてなくてがっくりきてるっていうだけの話です(/ω\)