才能、ということ | 10月の蝉

10月の蝉

取り残されても、どこにも届かなくても、最後まで蝉らしく鳴き続けよう

終了間近の「スタジオジブリ ・レイアウト展」を観てきました。

とても興味深かったです。

とにかくすごかった。あの細かい細かい描きこみ。

どうしてこんな線が引けるんだろう、とそればかり思っていました。

 

展示の最後のほうに、「アルプスの少女ハイジ」のレイアウトがありました。

いやー、懐かしい。

そういえば、中学のころ、ハイジを一生懸命練習したものでした。

けっこううまく模写できてたと思うんですよね。また描いてみようかなあなんて、思ってしまいました。

 

途中、一か所だけ、撮影してもいい、という場所がありました。

無限回廊ですよ。

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この壺に向かって左側の鏡像。

そして、こちらは右側。

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うほほ。ちらっと写りこんでしまいました。

合わせ鏡、怖いですねえ。

 

なんというか、「圧倒的な才能」という言葉が思い浮かぶような展覧会でした。

最後に、記念として、「まっくろくろすけ」を描いて、壁に貼ってきました。そういうコーナーが作ってあったんですよ。

 

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なんか、びっくりしてるなあ(笑)

 

夜は、「キセキ -あの日のソビト」を観てきました。

ストレートな、素敵な映画でした。

 

才能、って残酷だよなあと思います。

どんなにやりたくても、熱望しても届かないことがある。

すぐ隣で、軽々とそれを実現できてしまう人がいる。

それを認めることの、身を切るような苦しさ。

映画の本筋からは外れている部分かもしれませんが、私にはとても他人事には思えませんでした。

 

それにしても。

芸術や芸能って、そんなに無価値なものなんでしょうかね。

自分の子どもが、音楽や美術や演劇などの方面に進もうとすると、全力で阻止しようとしますもんね。

「現実はそんなに甘くない」とか「人生はもっと厳しいものだ」なんて言いますけど、芸術や芸能の道が甘かったり、厳しくなかったりしてると思ってるんでしょうかね。

チャラチャラしてる、と思うんでしょうか。それはその人が、そういうふうに思っている、というだけのことなんじゃないか、と思ったりもするんですけどね。

そりゃ、努力もせず一攫千金をもくろむ人もいるんで、とりあえず覚悟のほどを確かめたいとは思うのでしょうけれども。

世の中は、味気ない実務だけでできていて、みんな歯を食いしばって砂を噛むような思いで生きているのだ、という人生観、世界観は、哀しいと思います。

「食えない」という一点で、親は子どもの人生を心配するものなのかもしれません。